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イタリア
背景
イタリアは、精神医学・医療の分野においては、旧態依然たる精神病院での入院医療から先進的な地域中心型精神医療サービスへの、その劇的改革により知られている国である。しかし本邦においてイタリア精神医療改革の象徴的成果のように伝えられているトリエステのような変革は、諸条件が偶然も含めて幸いしている特殊な好例であり、イタリア全土を鳥瞰すると、トリエステのような都市ばかりではなく、現実には様々な困難を抱えている地域も多い。
イタリアは周知のごとく古代ローマ帝国に遡る歴史的民族を祖先に持つ国ではあるが、現在のような長靴の形に再統一されたのは1870年のことである。北はアルプスから南はアフリカ大陸に程近いシチリア島まで続くこの国には、経済を中心とする深刻な南北問題と再統一以前からの歴史を引き継ぐ州制度により、政治・経済から風俗・文化にいたるまで著しい地域格差が存在している。このことが、実はこの国を語る際に「イタリアの」と一語で括る事を困難にしている。これは精神科医療を語る際にも例外ではない。後述する精神病院の閉鎖も理念的にも法的にもイタリア全土を対象としたものではあったが、その実現は一般に北部地域から達成されはじめた。本稿では特に断りの無い限りミラノを中心にフィレンツェ辺りまでを含む北部イタリアを中心に論じることをお断りしたい。
イタリアの国土はおよそ31万平方キロメートル(日本は約37万)、人口は約5677万人とされている。このうち65歳以上の高齢者が18%を占め、日本とともに高齢化が著しい。「イタリアに行くと失業した医者がタクシーの運転手をしている」というのは冗談ではない。Sasso(2001)によると、医師は人口1000あたり5.9人であり、欧米で最も医師過剰であるばかりか、看護師より医師の方が多い(看護師は5.3)。
イタリアの医療制度は国民皆保険を原則としており、各自いわゆる家庭医登録制となっている。利用者は家庭医を登録している地域のリストの中から自由に選ぶことができる比較的フレキシブルな制度である。専門医を受診する場合には通常家庭医の紹介を要するが、後述するように精神保健サービスに関しては例外となっている。一部の薬剤を除き、医療費は無制限に保険適応される。国民保健制度によりイタリア全土は228の地域医療事業体(ASL: Azienda Unità Sanitarie Locale)に割られている。各事業体は人口5-20万のキャッチメントエリアとして定められている。
歴史的概観
イタリアの近代精神科医療の原点は、ピザ大学で医学を学んだヴィンチェンツォ・キアルージが活躍した18世紀に遡る。当時フィレンツェを支配していたレオポルド大公は精神障害者の人道的ケアを謳った精神衛生法を施行(1774年)し、1785年にはフィレンツェ市内に近代的精神医療をめざした聖ボニファチェ病院を開設した。院長として着任したキアルージ(1759-1820)は1789年に精神障害者ケアに関する開放的処遇を中心とする基本指針を発表した。この中には詳細な病歴記載方法、高度の衛生管理、レクリエーション施設、作業療法、拘束の制限、人権思想に関する当時としては極めて先進的な手法が盛り込まれていた。キアルージは1794年に自身の手になる100体以上の剖検例を基にした「精神病とその分類」全3巻を著わし、精神病を「脳の生理的構造の障害」と位置付けるとともに、症状学的にメランコリー、マニア、アメンチアの3種類に分類した。日本ではあまり知られていないこの先人が、欧米においてフランスのフィリップ・ピネル(1745-1826)と並ぶ精神科リハビリテーションの先達として位置付けられる所以である。
しかしこのような革新的歴史を持つイタリアの精神科医療が、その後一直線に先進的進歩を遂げたわけではない。小国乱立状態からイタリアが現在の形に統一されたのは1870年のことであり、それまでは精神衛生行政も各地の慣習法に基づく独自の方法によっていた。1876年には最初の司法精神病院ができた。
いわゆる近代的精神衛生法は1904年に制定された。新たにできたのが精神病院及び精神病者に関する処遇を定めた1904年の法36号である。自傷他害の恐れ、公序良俗を汚す恐れのある精神病者の精神病院への強制入院を規定している。
次いで1906年には法615号が定められ、1904年の法36号の一部修正がなされた。人道的、福祉的配慮を付加し、入院定床、衛生基準の整備、働く場(農場)の確保等が示されたが、同法が治安対策を目的としたものであることに変わりなかった。この法律が第二次世界大戦後の王政廃止、パルチザン闘争などイタリアにおける民主化が進められた後もそのまま運用された。この間精神病院の実質上の運営は各州に委ねられ、その結果2000床を越す巨大公立精神病院の乱立を招き、一般科の医療システムからは隔絶された。
内容
こうした状況の中1961年にバザーリアがゴリーツィアの州立精神病院長と赴任し、以来北イタリアを中心に脱施設化をめざした改革が始まり、次第に各地へこの運動が広まりだした。1968年イタリア精神病院医師会の働きかけにより法431号制定され、ようやく自由入院が認められ、精神病院の縮小、1:4の人員配置、医師、看護師のほかに社会福祉士や心理士の配置、総合病院内への精神科病床の設置、退院者の治療のための外来設置や精神衛生センターの設置なども進められた。これをきっかけにいわゆる脱施設化が進められるものの、当時のものはいわゆる回転ドア現象や私立病院や他科病床への入院を際立たせた。
1973年には改革をすすめる精神科医療従事者を中心とした民主精神科連合という団体が結成され、精神医療改革をめぐる政治的活動が一層強く押し進められた。
1978年5月13日、イタリア議会はこの国民投票を回避すべく、新たに「法180号」または「バザーリア法」として知られる精神医療改革に関する法(「任意及び強制入院と治療」に関する法180号)を公布した。こうした経緯があるためいまなお一部にこの法180号を政治的妥協の産物とする見方が残っている。続いて実質的な法案として1978年12月の法833号(「国民保健サービスの制度」に関する組織案)が整備された。このうち33-35条ならびに64条が精神医療に直接関するものであった。法180号は精神病院への新たな入院を禁じるものであり、次いで法833号の64条では1980年12月31日以降新たに以前の入院患者の再入院も禁じられた。さらに、1979年1月1日からは新しい精神科入院病棟(SPDC:Servizio Psichiatrico per Diagnose e Cura 診断と治療のための精神科部門)を整備し、これらは15床を越えてはいけないことを定めた。新法は新たな精神科病院の設立を禁じ、各州に対して精神病院を漸進的に廃止する責任と精神科治療に関するあらゆる権限を与えている。
1978年の精神医療改革の要点をまとめると次のようになる。
1)  精神病院の漸次閉鎖
2)  各ULSS(地区社会保健単位)における精神科治療についての地域サービスのセットアップ
3)  総合病院内に、地域サービスと関連して設立された精神科病棟(SPDC)のセットアップ
4)  「(社会的)危険性」と「パブリックスキャンダル」の概念の変わりに、「緊急治療介入」を必要とする「精神症状」が強制治療(TSO(Trattamento Sanitario Obbligatorio))の要件であり、これは必ずしも入院治療を求めるものではない。介入は公安の長によるものではなく、保健衛生の専門家によるものとなったのである。
以上がイタリアのいわゆる精神医療改革の大まかな経緯である。
これによりイタリア各地における精神医療サービスは、それまでの入院中心主義から一転地域・外来治療中心へと展開した。しかしながらこの法は、あくまで一般的な指針やガイドラインを示したものであり、各州における予算措置や人員配置数など細則について規定するものではなかった。その結果これらの改革はトリエステなどの一部の特殊な地域を除いては実際には遅々として進まなかった。
1996年の時点でも75の公立病院に残っていた11803名の入院患者がおり、そのうち約半数は精神疾患そのものによる入院、残りは身体的障害または高齢による援助の必要性によるものであった。また11の私立病院には3726名が残っていた。1998年初頭には39の公立病院に4769名、10の私立病院に2935名までに減少した。法改正20年が経過した1998年、イタリア政府は上記政策の完全実施をめざし、病院の閉鎖や地域サービスの整備が遅れている州に対しては予算配分におけるペナルティを科すという法律を実施した。その結果残っていた患者は全員が生活支援施設などに移され、2000年末にイタリア政府保健大臣は国内の精神病院の完全閉鎖を宣言した。もちろん施設名が病院からほかの名称の施設に変更されただけで同じ建物で同じ人が同じ人に介助されている施設も多数残っている。これらの退院が遅れた患者や施設の状況に関するD’Avanzzoらの検討によれば、大部分の症例が精神症状のためではなく、経済的理由や地域支援システムとの連携の不足によるいわゆる社会的入所もあり、3分の2以上の症例で何らの行動上の問題は無く、日常生活は41%で完全に自立、24%でほぼ自立できていたという。
精神保健サービスの現状
イタリアでは前述した各州内にある地域の地域医療事業体(ASL)において精神保健部門の設立が義務付けられており、精神保健に関する予防、ケア、リハビリテーションの実施も任されている。多職種(精神科医、看護師、社会福祉士、心理士、作業療法士、リハビリテーション技術者、教育職、事務職から成る)チームが配置されており、成人の精神保健全般のニーズに応えている。
各ASLの精神保健部門は、①地域精神保健センター、②総合病院内の精神科入院病棟、③デイホスピタルやデイセンターのような生活・居住訓練施設、④日本の援護寮など生活訓練施設に相当する居住施設、を設置運営しており、長期の包括的介入や地域ケアも担当している。
地域精神保健センターは、通常月曜から金曜と土曜の午前中開いており、地域住民はいつでも家庭医の紹介なしに直接予約の上受診できる。訪問活動も行われ、各患者の重症度などニーズに応じて治療・介入方針が決められている。
総合病院内の精神科入院病棟は、日本でいえば公立の総合病院に付設されており、入院治療後は地域の精神保健サービスにつながるように紹介される。基本的には自由入院が中心であるが、TSO(Trattamento Sanitario Obbligatorio)と呼ばれる強制入院も含まれる。ここで働く精神科医は地域のASL所属であるが、いわゆるリエゾンコンサルテーションなどの他科依頼業務も行う。
デイホスピタルではより重症例についての中長期的の治療が行われる。総合病院の一角にあることもあるが、あくまで外来の一部門であり、精神保健センターと連携している。デイセンターは、日曜を除く毎日開いており、日常生活場面での生活訓練や社会技能訓練を行っている。
居住施設では患者の心理社会的リハビリテーションに力をいれており、各自のニーズに合わせたプログラムの展開を目指している。日本と同じく施設ごとにスタッフや入居者の人員が定められ、社会的孤立を避けるためとして都市部への設置が定められている。
これらの諸施設の設置は法で定められているにもかかわらず、実施状況は南北差をはじめ地域差が大きく、かつ総合病院内の入院病棟の整備が先行し、社会復帰資源の充実は先送りにされており、入院施設の減少に追いつかないのが現状である。(表1参照)
人員面を精神保健領域に限ってみると、1998年3月時点で、国民保健制度上届け出られている精神保健従事者は30978名であった。このうち精神科医は5094名、看護師15482名、心理士1785名とされている。旧精神病院で働いているとされる者も、職種は不明ながら7000名いるとされている。 またあまり知られていないことであるが、イタリアではいわゆる薬物依存と児童思春期の精神保健に関しては独立した部門が確立しており、精神科臨床の範疇にはない。施設も従事者も全く独立して運営されている。しかしながらこれら諸部門の隔絶による悪影響もあり、近年ようやくその連携を重要視する声が出始めている。 なおイタリア国内には1876年以来刑法第222条に基づく司法精神病院が3病院存在している。これらは法務省管轄であり、一連の精神医療改革時にも変わらぬ体制を維持してきた。イタリアにおける大胆かつ急激な精神病院閉鎖が実現できた背景は、これらの存在を無視して論じることはできない。
イタリア精神保健システムの苦悩
イタリアの精神医療改革については、記述的報告が多く、統計的あるいは疫学的エビデンスに乏しい。
最近の論文で、地区割制による地域精神保健システムの機能実態の一部が明らかにされた。調査では、ミラノ近郊の人口101,045人(成人は85,809)をキャッチメントエリアとする地域精神保健センターの管轄地域における1992年の1年間の全初診者を24ヶ月にわたりフォローアップした。その結果330名の初診者があり、これは人口10,000人あたり約33名に当たるが、追跡期間中に46%が脱落、すなわち次回診察予約がありながら追跡不能な状態になっていた。脱落は神経症圏や人格障害圏に有意に多かった。このことからイタリア式のシステムがより重篤な精神障害向きであることを示唆していると筆者らは考察している。
また退院者のQOLについては、Warnerらが1994年から1995年にかけて行われたコロラド州ボウルダーと北イタリアのボローニャにおける退院して地域に住む精神障害者の比較研究を行っている。それによれば年齢と入院期間、さらに精神症状に差のない両群を比較すると、ボローニャ群の方が客観的QOLでははるかに好ましい結果が得られた。特に雇用と住居、家庭生活の項目においてこの傾向が著しかった。その要因として、著者らはイタリア人が成人の後も家族と同居する伝統を保持していること、精神医療サービスが訪問に力を入れていること、さらに精神障害者の雇用が一般就労者とともに行われていることを挙げている。こうした客観的なQOLの差異は、主観的なQOLの差異にもつながっている可能性が示唆されるとしている。
イタリアの精神医療現場における薬物療法の特徴は、多剤併用ながら低用量処方とされ、時には不十分な薬物療法が再発の原因にさえ挙げられており、精神病院廃止後外来治療を抗精神病薬の大量療法で維持しているわけではない。
こうして見てみるとイタリアの精神医療改革のひととおりの成功は、精神病院の閉鎖により生み出された先進的な地域精神保健システムやリハビリテーション技術によるだけではなく、むしろ国民性や文化性に支えられているところも大きそうである。
60年代に生まれた改革への情熱の力で走りつづけた四半世紀を過ぎ、イタリアの精神保健福祉システムは新たな問題に直面している。それは端的に言えば医師も含めた専門家の教育システムの充実と包括的な地域中心型治療におけるいわばソフトウェアの問題である。イタリアではOTP(Optimal Treatment Project)をはじめとする地域で展開できる包括的治療プログラムに対するニーズが強く、各地域の精神保健センターを中心に専門職への啓蒙と普及が熱心にすすめられている。
まとめ イタリアから何を学ぶか
イタリアの精神医療改革は、精神病院の閉鎖と地域中心型精神医療サービスの展開いう象徴的な成果とともにひとまずは成功したと評価されるべきであろう。
精神病床の多さに国際的批判を受けつづけるわが国にとって、病床の削減と地域中心型精神保健システムへの移行は焦眉の急である。エビデンスに基づいた根拠ある算出により退院者のアセスメント、必要なリハビリテーション方法の選定、またそれに応じた施設の充足などが急ぎ行われる必要がある。イタリアでは、受け皿無き退院によりもたらされた悲劇もおそらくはあったに違いなかろうが、論文にはなりにくく、入手できる報道も乏しい。
今後わが国でも、精神病院長期在院者の退院に際しては、生物医学・社会福祉両面からのアセスメントを重ねて指摘なサポートシステムを準備し、こうした流れを推進する根拠を作り上げていく必要があろう。脱施設化をすすめる上で必要なのは、無計画な大胆さではなく、科学的で緻密な計算のはずである。
関連サイト
PSYCHIATRY ON LINE ITALIA
イタリアの精神医療改革を中心に、その後の精神医療保健福祉の総合的なサイトです。英語サイトも設定されています。
参考文献
1.水野雅文:改革15年後のイタリア精神医療事情―北イタリアの精神保健サービスの現状―.精神神経学雑誌 98: 27-40, 1996
2.水野雅文:触法精神障害者の治療と社会復帰―イタリアの状況―.法と精神医療 12:100-105,1998
3.G. de Girolamo, M Cozza The Italian psychiatric reform. A 20-year perspective. International Journal of Law and Psychiatry 23: 197-214, 2000.
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5.M. Percudani, G. Belloni, A. Contini et al. Monitoring community psychiatric services in Italy: Differences between patients who leave care and those saty in treatment. British J Psychiatry 180: 254-259, 2002.
6.水野雅文:世界の精神医療と日本―イタリア こころの科学 109: 46-50, 2003
7.G. Santone, G. de Girolamo, I Falloon et al. The process of care in residential facilities A national survey in Italy. Soc Psychiatry Psychistr Epidemiol 40: 540-550, 2005
このページは、東邦大学医学部精神神経医学講座 教授 水野雅文先生の全面的なご協力のもとに作成しました。

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