HOME > ニュース 沼川室長 日本神経化学会奨励賞

2009年度日本神経化学会奨励賞受賞 沼川忠広

第52回日本神経化学会大会(6/21-24, 伊香保)にて、沼川室長が受賞記念講演を行いました。



◇研究題目

グルココルチコイド受容体およびBDNF受容体の相互作用に制御されるグルタミン酸放出Glucocorticoid receptor interaction with TrkB promotes BDNF-triggered glutamate release

 

◇背景・目的

 うつ病発症メカニズムにおける仮説のひとつとして、HPA内分泌系(Hypothalamic-pituitary-adrenal axis、視床下部-下垂体-副腎皮質)の異常な機能亢進がある。この機能亢進によって 副腎皮質からストレスホルモンであるグルココルチコイドの放出が増加し、うつ病患者によく見られるように血中グルココルチコイド濃度が持続的に上昇する。このグルココルチコイド上昇は中枢神経系にダメージを与え、疾患発症に関与する可能性が示唆されている。一方で、BDNF(脳由来神経栄養因子)の発現低下とうつ病発症における相関も知られており、抗うつ薬の治療効果はBDNF発現を高めることに起因するという説も有力である。しかし現段階では、中枢神経系の情報伝達におけるグルココルチコイドの役割についての知見は乏しく、神経可塑性の最も主要な調節因子のひとつBDNFの機能との関連に至ってはほとんど不明である。
  本研究では、BDNFが短時間で発揮する神経伝達物質放出作用に対するグルココルチコイド暴露の効果を細胞・分子レベルで解析した。特に、TrkB(BDNF受容体)とGR(グルココルチコイド受容体)との相互作用を見出し、この相互作用が伝達物質放出に重要なTrkB/PLC-γ/Ca2+シグナルに及ぼす影響を精査した。そして、これまで転写因子として認知されていたGRが、膜蛋白質であるTrkBとの相互作用を介してBDNFの働きを制御する、というまったく新しいGRの機能を提唱した(Numakawa et al., Proc Natl Acad Sci USA. 2009)。

 

◇結果

 培養4日目の大脳皮質ニューロンに48時間のグルココルチコイド暴露を行い、その後BDNFを1分間投与して細胞応答を解析した。グルココルチコイド投与によりGR発現が半減し、TrkBとの相互作用もそれに応じて低下していることがわかった。GR-TrkB相互作用の低下したニューロンでは、BDNFが誘発する興奮性伝達物質グルタミン酸の放出も減少した。グルココルチコイドを腹腔投与したラットの大脳組織でもGR-TrkB相互作用の低下がみられ、これが生理的条件下でも重要であることを示唆している。
  ここで、グルココルチコイドによってGRの転写活性を介した種々の蛋白質の発現変動が生じ、それがBDNF機能の低下の原因となっている可能性があった。ところが、グルココルチコイド投与を行わずにsiRNAにてGRの発現を抑制したニューロンを用いても、BDNFによるグルタミン酸放出が低下した。反対に、GR強発現系におけるGR-TrkB相互作用およびBDNFによるグルタミン酸放出の増加が観察された。
  グルココルチコイド暴露によって、BDNF刺激によるTrkB活性化は影響を受けなかった。これまでの我々の研究で、TrkB下流シグナルの中で特にPLC-γ/Ca 2+経路のグルタミン酸放出における重要性が明らかであった(Numakawa et al., J Biol Chem 2002, Numakawa et al., J Biol Chem 2003, Numakawa et al., J Biol Chem 2004)。 PLC-γはIP3Rを活性化し、続いて小胞体から細胞質内への素早いCa2+放出を引き起こす。この細胞内Ca2+の増加はグルタミン酸放出に必須であると思われる。そこでグルココルチコイド暴露後において、BDNF依存的なPLC-γとTrkBとの相互作用を解析した。その結果、グルココルチコイドによりPLC-γとTrkBの結合力が弱まり、PLC-γ活性化が減少することがわかった。詳細な解析の結果、GR-TrkB複合体はPLC-γの活性化に有利であり、GRは主にそのN末端部位においてTrkBと相互作用することがわかった。グルココルチコイド暴露後のGR-TrkB相互作用の低下によって、BDNFによるPLC-γ活性化が起こりにくい状況になると考えられる。興味深いことに、我々は抗うつ薬(imipramine, fluvoxiamine)が、このPLC-γ/Ca2+経路の活性化をさらに増強する現象を見出している(Yagasaki et al., J Biol Chem 2006)。このことからも、うつ病発症にはグルココルチコイドが関与しており、BDNFの機能阻害がグルココルチコイド暴露によって生じるという我々の実験系が、in vitroモデルとして有用である可能性を示している 。

 

◇ 学術的意義・特色・独創的な点

 うつ病や統合失調症などの精神病やそれに起因する自殺者の増加は大きな社会問題であり、最近では遺伝子解析研究によって脆弱性遺伝子候補が次々と報告されている。我々もDystrobrebin binding proteinが病態と密接に関係しており、細胞レベルではシナプス機能増強作用などを持つことを報告した(Numakawa et al., Hum Mol Genet 2004)。しかし、我々の研究も含めて、多くの脆弱性遺伝子によるリスク増加は1.5倍程度にとどまるのがほとんどであり、環境要因などの他のリスクを同時に考慮すべきであると考えられた。そこで我々はグルココルチコイドに注目したが、本来これはストレスに対抗するための抗炎症作用や血糖値上昇作用を持ち、神経系に対しても短時間暴露での神経保護効果などが報告されている。しかし、うつ病患者や持続的ストレスを受けた動物では、血中グルココルチコイド濃度の高値が持続する。我々は、このグルココルチコイド濃度の持続的な高値が、うつ病発症を引き起こす原因であると想定した。そして、グルココルチコイド暴露がBDNFの短期的作用(神経伝達物質放出)に与える影響について詳細な解析を行った。また、BDNFの長期的作用としてシナプス形成の増強作用があるが、我々は幼若期の海馬ニューロンがグルココルチコイド暴露を受けた場合、BDNFによるシナプス形成促進が十分に発揮されないことを明らかにしている(Kumamaru et al., Mol Endocrinology 2008)。このように、我々は中枢ニューロンにおけるBDNFの機能低下がうつ病発症のメカニズムの一つであり、その機能低下の原因としてグルココルチコイドの関与を想定する独創的な発想で研究を行ってきた。これまでの研究では、うつ病病態においてBDNF発現量そのものを問題にした例が多く、本提案のようにBDNF機能とグルココルチコイド機能との相互作用に注目した例はない。本研究によって、それぞれの受容体の相互作用の可能性が明らかになった。GRは多様な遺伝子の発現を調節する転写因子として古くから知られているので、報告したTrkBとの相互作用は、これまでにないまったく新しいGR機能である。GRがTrkBの下流分子の活性化の調節因子であるという発想は、神経栄養因子研究において非常に新しい。今後、グルココルチコイドとBDNF機能とのクロストークのさらなる解明により、BDNF下流シグナル分子をターゲットとした新しい精神疾患治療法の確立や創薬に大きく貢献できると期待される。また、研究過程でBDNFが発揮する神経機能制御のしくみが明らかになれば、精神疾患のみならず記憶・学習のメカニズムや、中枢神経疾患の病態解明において貢献できる可能性がある。

 

@GR-TrkB複合体が豊富にあると、BDNFによるPLC-γ活性化が十分でグルタミン酸も多く放出
Aグルココルチコイド暴露でGRが減少し、GR-TrkB複合体の割合が低下
BGR-TrkB複合体の低下により、PLC-γ活性化が不十分でグルタミン酸放出が減少