多発性硬化症の患者さんを病理解剖して、脳や脊髄をよく調べてみると、手で触ってかたく
感じられる病変があちこちに見つかります。そのためこのような多発性にかたくなる硬化症
という病名がつけられました。英語ではmultiple sclerosisといいます。通常はその頭文字の
MとSを取ってMSと呼んでいます。
多発性硬化症(MS)は、日本ではあまりなじみがありませんが、欧米ではたいへん良く知られた
病気です。日本国内の患者さんは7000人程度と推定していますが、世界全体では欧米の白人を
中心に300万人以上の患者さんがいます。神経内科の領域ではもっとも重要な病気の一つです。
有名なイギリス人のチェロ奏者であるジャクリーヌ・デュプレはこの病気で亡くなりました。
欧米ではMSと言えば、一般の人でも、ああ、あの難病なのだなとすぐにわかっていただけます。
ところで、神経系は複雑な電気回路に例えられます。そして一本一本の神経線維は、ビニールの
絶縁体でカバーされた電線に例えられます。MSで障害を受けるのは、実は絶縁体の部分なのです。
MSは神経の絶縁体の壊れる病気です。幸いなことに絶縁体の部分はよく再生するので、
MSは病状が安定すれば比較的よく直ります。
現在ではMSが自己免疫疾患であることが確実になり、免疫学や分子生物学の
方法を使った研究が急速に進んでいます。
さてつぎにMSの臨床症状、診断、治療についてお話しします。
臨床症状
MSは主に若い人のかかる病気で、男性よりも女性に多い傾向があります。
突然に目が見えなくなる、腕がしびれてあがらなくなる、お風呂に入っても、熱い冷たいの感じが
わからなくなる、といった症状で発病します。その他にも首を前に曲げると足の方までじんじんとした
しびれが伝わる、お小水が出なくなる、ふらふらして歩けなくなるなどの症状が出ることもあります。
これらは、大脳、視神経、脊髄、小脳などの病変による症状です。典型的な患者さんでは、
年に何度も再発をくり返し、そのたびに入院が必要となります。症状が完全に治る場合もありますが、
少しずつ後遺症を残し、車椅子の生活や寝たきり状態になることもあります。
診 断
MSは神経内科医による丁寧な診察の結果、髄液検査、電気生理検査、MRI検査
などを総合して診断します。患者さんの病歴を良く聞き、丁寧に診察することが大事で、最初の
診察には1時間以上かかることがあります。MSは以前は診断の大変難しい病気でした。患者さんが、
どの科にかかったら良いかわからず、正しい診断を受けるまでに何年もかかるケースもありました。
近年、神経内科のある病院が増え、診断が早く、しかも確実につけられるようになってきたのは、
大変喜ばしいことです。それでも、時には脊髄腫瘍と誤診されて手術される患者さんや、神経症
と診断されて適切な治療を受けていない患者さんもいます。疑わしい場合は、まず神経内科に
かかることをお勧めします。
治 療
MSの治療についてお話ししましょう。急性期には、ステロイドを大量に点滴するステロイド・
パルス療法を行うことが一般的になっています。炎症を早く抑制することにより、回復が
促進されます。ステロイドは急性期には大量に使用しますが、長期投与はいたしません。この点では
膠原病の治療方針とかなり異なります。MSは残念ながら再発をくり返します。それをできるだけ予防
する必要があります。MSの再発を予防する治療薬としてはβインターフェロンの有効性
が欧米で示されています。日本でも平成12年11月から利用できるようになり、この治療の恩恵を受け
られるようになりました。
最初に少し触れましたように、現在ではMSは中枢神経の自己免疫疾患と考えられています。
それでは自己免疫とはいったい何でしょうか?
免疫系はウイルスや細菌などの病原体や、身体の中で絶えず発生している癌細胞を殺し、生体を
防御するシステムです。しかし、免疫系が誤って自己を攻撃し、そのために特定の臓器や組織が
障害を受けることがあります。これが自己免疫疾患です。MSは、免疫系が自己の中枢神経
組織を外敵、あるいは異物として認識した結果起こる自己免疫疾患です。一般に
難病といわれるものの多くは自己免疫疾患と考えられており、自己免疫の研究は現代医学のもっとも
重要な研究課題の一つです。
さて、免疫系で重要な役割を果たす細胞としては、T細胞、B細胞、マクロファージなどが
あげられますが、MSで重要なのはT細胞です。近年になって MSを起こす病原性T細胞を、
試験管の中で培養できるようになり、研究が急速に進展しました。MSの病原性T細胞は
中枢神経のミエリン塩基性蛋白などに反応し、TNF-αなどのサイトカインを産生
します。基礎研究により、病原性T細胞の性質が明確になり、新しい治療法の
開発につながる情報が集積されてきました。
ところで、病原性T細胞はMSの患者さんだけではなく、実は健康な方の血液リンパ球の中にも
たくさん含まれています。それでも病気にならないのは、病原性T 細胞がまるで眠ったような状態に
なっているからです。また安定期にあるMSの患者さんでも、病原性T細胞は休眠状態にあります。
MSの患者さんでは、眠った病原性T細胞が目を覚まさないように、特に配慮する
必要があります。
それではどうすれば良いのでしょうか?
まず、風邪にかかった後にMSはよく再発します。これは風邪のウイルスが、眠ったT細胞を叩き
起こすようなタンパク質を産生するからだと考えられています。感染はMSの再発因子ですので、
患者さんは、健康な人よりも普段の生活に注意してください。風邪のはやっている季節には人込みに
出ない、うがいをする、睡眠を良く取るなどの注意が必要です。また、強い紫外線にあたったり、
体の中に異物を入れることも再発の誘因となる可能性があるので注意してください。私は、長時間
日光浴をした後に再発した患者さんを知っています。
健康な人はウイルス感染にかかっても、免疫系に病原性T細胞を押さえ込む機能があるので
自己免疫疾患は発症しません。NK細胞は、癌の発生を予防する重要なリンパ球ですが、我々の
研究室では、NK細胞に自己免疫疾患を押さえ込む働きがあることを、世界で
初めて明らかにしました。
現在では、精神的なストレスでNK細胞が死ぬことがわかっています。
NK細胞はMSの再発を予防する大事なリンパ球なので、患者さんはあまり強い
ストレスは避けるようにしてください。
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最後に…
最後にMSを含めた自己免疫疾患の将来の治療について少し触れたいと思います。
我が国では自己免疫疾患の治療法としてはステロイドや免疫抑制剤がこれまで主流でした。しかし
これらの薬剤は、病原性T細胞だけでなく、生体にとって必要なリンパ球まで殺してしまうことが
問題です。これからは病原性T細胞だけをねらい撃ちするような治療法がどんどん
開発されることと思います。また、NK細胞の機能を高めることによって病原性T細胞を
押さえ込むような薬剤の開発も進んでくると思います。世界で300万人の人が苦しむ難病が
克服される日が来るのも、そう遠くはないかもしれません。
免疫研究部部長 山村 隆
日本多発性硬化症協会ホームページ ![]()
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