私たちはマーモセットを用いて自閉スペクトラム症の研究をおこなっています

自閉スペクトラム症(自閉症)は社会性の障害、コミュニケーションの障害と固執傾向・反復行動を3つのコア症状とする発達障害です。これらの症状のために、自閉症の方は社会で生きて行くことに困難さをかかえています。そのせいで、自閉症の方はうつ病や睡眠障害を併発することもしばしばです。自閉症は現在57人に1人のお子さんが罹患していると考えられ、社会的問題となっています。しかし未だ治療薬はありません。

これまで自閉症の治療薬はマウス・ラットの自閉症モデルを用いて研究されてきました。しかし、ここまでの段階ではヒト自閉症に有効な治療法の開発は出来ませんでした。そこで、ヒトに進化的に近い霊長類による自閉症モデル動物が世界中で開発されていました。

私たちは小型霊長類であるコモン・マーモセットによる自閉症モデル動物の開発に世界で初めて成功しました。抗てんかん薬であるバルプロ酸は妊娠中の母親が投与されると、子供が自閉症になる確率が5倍になると言われています。これはバルプロ酸が発達中の胎児脳の遺伝子発現を変化させてしまうからだと考えられています。これをヒントに私たちは、バルプロ酸をマーモセットの母親に投与し、自閉症モデルマーモセットを作成しました。

この自閉症モデルマーモセットは、社会性の障害、コミュニケーションの障害、固執性という自閉症の3つの診断基準を満たします。さらに特筆すべきは脳の遺伝子発現がヒトに極めて似ているということです。自閉症の症状は脳の障害に原因があり、数万の遺伝子の発現のバランス異常がその根底にあると考えられます。私たちは、遺伝子発現異常に関してマウス・ラット・マーモセット・マカクサル(ニホンザルの仲間)の自閉症モデルとヒト自閉症を丹念に比較しました。その結果、原因はわかりませんが、私たちの自閉症モデルマーモセットが他の自閉症モデル動物よりもヒトの自閉症と同様な遺伝子発現変化を示すことが分かりました。自閉症の発現異常遺伝子とその産物であるタンパクは自閉症の治療のターゲットとなります。そのため、自閉症モデルマーモセットはヒト自閉症の治療薬開発を高い精度で行い得るモデルシステムと考えられます。私たちは、このような自閉症モデルマーモセットを用いて研究している現在世界で唯一の研究室です。

自閉症モデルマーモセットにおいて私たちは次のようなことに注目して研究しています。


1. 自閉症モデルマーモセットによる治療薬ターゲット分子の探索

現在の主たる治療薬のターゲット分子はタンパク質です。しかしタンパク質は死後融解しやすく、タンパク質の検索を可能にする状態の自閉症の方の脳組織を集めることは困難です。とりわけ重要な早期治療薬の開発のための小児期の自閉症の脳組織の取得はさらに困難です。ヒト自閉症に遺伝子発現がよく似た自閉症モデルマーモセットは、このギャップを埋めるために有用と考えられます。私たちは、エピゲノム・遺伝子発現・タンパク質の検索を系統的に行い、ヒト自閉症治療薬のターゲットを探っています。

2. 自閉症モデルマーモセットを用いた治療効果判定行動パラダイムの開発-

治療薬のターゲット分子が決まっても、行動による治療効果を簡便に効率よく行うためのシステムが必要となります。マーモセットはヒトと同様に多数の個体の相互作用に基づく複雑な社会を形成しています。これは協調的な行動をそれほど必要としないマウス・ラットとは異なります。自閉症の方々が抱えている問題は複雑な社会への適応の困難さであり、自閉症モデルマーモセットはこの困難さをマウス・ラットより正確に再現できると考えられます。私たちはヒト自閉症の方の中心的な問題をターゲットとする治療薬効果判定のための行動パラダイムを構築しています。

3. 自閉症モデルマーモセットを用いたヒト自閉症のバイオマーカーの探索

マーモセットの脳の形態・機能はヒトによく似ています。ヒトと同じ脳の検査法で自閉症モデルマーモセットを解析することにより、ヒト自閉症のバイオマーカーの発見につながると考えられます。現在私たちは、核磁気共鳴イメージング法(MRI),皮質脳波法 (ECoG)および陽電子放出断層撮影法(PET)を用いて研究しています。またヒトでも採取が比較的簡単な血液を用いたバイオマーカーの探索も行っています

4. 自閉症モデルマーモセットを用いた自閉症メカニズムの解明

現在ヒト自閉症は最新の多様な技術をもちいて研究が進行中です。たとえば、遺伝子レベル、脳のミクロなレベルから全脳レベルにいたるまでの情報が集められています。しかし、そのレベル間のギャップを埋めるためには、モデル動物での研究が必要になります。私たちは、常にヒト自閉症の臨床所見を参照しながら、ヒトではわからない自閉症のメカニズムに迫っていきます。

自閉症「さまよいとまどう脳」仮説
Wandering and Wondering Brain Theory

私たちは、私たちの研究を通じて以下の新しい自閉症脳の仮説を提案します。

・シナプスの可塑性の亢進により脳回路が不安定になる (Wandering)
・不安定な脳回路を用いた世界の認識により自閉症の方は社会や環境にとまどいを感じる (Wondering)