研究内容

自閉症スペクトラム障害は遺伝的な要因と環境的要因で起こる発達障害と考えられています。
この要因の中には、妊娠中の母親による抗てんかん薬・バルプロ酸の服用があります。この薬の服用によって、生まれた子どもが自閉症になるリスクが高くなることが知られています。
私たちは、妊娠中の霊長類マーモセットの母親にバルプロ酸を投与することにより、自閉症のモデル動物の開発に成功しました。
そして、このモデル動物を多様な手法で調べ、自閉症の病態生理に迫ると同時に、診断法・治療法の開発を行っています。

微細構造研究部では、現在、以下のプロジェクトが進行中です。

1.自閉症モデルマーモセットの行動解析
現在、自閉症の診断は、患者さんの行動を調べることによってなされています。
そのため、モデル動物が自閉症とどれだけ似た症状を持っているかは、さらなる研究を展開するために重要な問題です。
霊長類マーモセットはヒトに似た社会を作っており、自閉症のコミュニケーション・社会性の障害に関して深く調べることができます。私たちは、定型的に発達した動物とモデル動物を比較することによって、障害の程度を調べています。その結果、いろいろなことがわかってきました。

ヒトは、自分と直接利害関係のない他の人々間の交渉の様子を見て、将来どちらの人と協力したらよいかを決める能力があります(第3者互恵性)。これは想像してみればわかると思いますが、
非常に高度な社会的な能力です。
私たちはマーモセットが第3者互恵性を示すことを見出し(Kawaiら, 2014)、モデル動物がこのような行動を行わないことを見出しました(Yasueら, 2015)。
また、ヒトは社会的に不公平な立場に立たないように行動を決めています。私たちは、マーモセットも社会的に不公平な状況になることを避け、自閉症モデルマーモセットは避けないことを見出しました (Yasueら、2018)。

これらの誌上報告した研究以外にも、いろいろな行動をテストすることにより、モデル動物が他の社会性の障害を示すことを見出しつつあります。
例えば、コミュニケーション(鳴き声)発達の障害や、もう一つの重要な診断基準である固執性に関しても検討しています。また自閉症の中核症状以外にも、患者さんの多くで示される活動過多があることも見つけてきています。
現在、より早期から見出される行動障害を調べるテストの開発や、いろいろな治療効果を調べるためのテストの開発に努めています。

2.自閉症モデルマーモセットの遺伝子発現解析
自閉症発症の要因として、遺伝子の異常がよく知られています。そこで私たちは、マイクロアレーとシーケンシングを用いて、モデル動物の遺伝子発現の異常を調べています。
この解析によって見出される発現異常遺伝子は、治療ターゲットとなることが考えられ重要です。

自閉症は発達障害で、発達に伴い発現異常遺伝子が変化することが期待されるために、新生児期、小児期、思春期、成体と時期を追って異常発現遺伝子の検討を行っています。
とりわけ、小児期はヒトで自閉症の診断がなされる時期に重なるので、重要と考えています。

最初に、定型発達動物の大脳皮質の発達中の遺伝子変化を調べました(Sasakiら, 2014a,b)。
その結果、いろいろな時期に異なった遺伝子発現が見られ、成長に伴って遺伝子発現の変化が起こることがわかりました。これは霊長類の脳の発達を考えるために重要な基盤的研究です。
私たちは、この定型発達の遺伝子発現データとモデル動物のデータを発達期に着目して比べることによって、発達期特有な発現異常遺伝子を見出そうとしています。それは時期に応じたタイムリーな治療法の開発ができると考えているからです。
この研究により、私たちは新生児に特異的に変化する遺伝子を見出しました(Mimuraら, 2019)。特に低下していた遺伝子は、脳の左右を結合する神経線維束(前交連)の形成に関わる遺伝子でした。そこで、MRIで神経線維束の状況を調べるDTI法を用いて、やはりモデル動物の前交連の発達が不良であることを見出しました。
自閉症者の脳は左右の結合が不良であることが知られています。これを示した論文は、その責任遺伝子を示した霊長類における貴重な研究です。私たちは高度な情報処理法(informatics)を用いてさらなる解析を行っています。

3.自閉症モデルマーモセットのシナプス解析
シナプスは、神経細胞と神経細胞を結合する神経回路が機能するための重要なコミュニケーション単位です。自閉症関連遺伝子はこのシナプスを構成する遺伝子が多く、自閉症の症状発現の基盤にシナプス障害があると考えられています。
実際にヒトの自閉症患者の脳のシナプス数の異常も報告されています。

シナプスは生後、興味深い発達を示します。
新生児期にはまだシナプスの形成は少なく、成長に伴って急速に増大します。この増大は小児期まで続くのですが、それから思春期に向かって減少していきます。この傾向は大人になるまで続きます。この小児期から思春期に向かって起こるシナプスの減少は刈り込みと呼ばれています。この刈り込みという現象は奇妙に思われますが、脳回路が素早く効率よく働くために重要な過程であると考えられています。

私たちは、このヒトにあるシナプス発達様式が定型発達マーモセットで再現されていることをまず示すことができました(Ogaら, 2013;Sasakiら, 2015)。

自閉症患者は、シナプスの刈り込みに障害があるという報告があります。
私たちは自閉症モデル動物で同様に刈り込みに異常があることを、形態学的手法と電気生理学的手法を用いて示すことができました (Watanabeら、2020)。このことは、このモデル動物が神経回路のレベルでも、ヒトと同様な異常を持っていることを示しています。

また、ヒトでは3歳の診断可能年齢以前にシナプスがどのような異常を持っているかはわかりませんでしたが、私たちはモデル動物を用いて、新生児期や小児期に独特なシナプス異常の性質を見出しました (Watanabeら,2020)。
さらに、このシナプスの刈り込みに関わるミクログリアが過活動の状態にあることを調べ、ヒトと同様な現象が起こっていることを示しました。このことは、ミクログリアをターゲットにした治療法を検討するために、当モデル動物が有用であることを示しています (Sanagiら, 2019)。

また、大人になってもシナプスは恒久的なものではなく、ダイナミックな組み替えが起こっていることが知られています。この組み替えは学習や記憶に関係していると考えられています。
しかし、このシナプスのダイナミクスはヒトでは探求することが非常に困難です。
私たちは神経細胞を螢光色素で可視化し、二光子顕微鏡法を用いてシナプスのダイナミクスを調べています。その結果、驚いたことに自閉症モデル動物のシナプスのダイナミクスは亢進しており、シナプスの安定性が低いという結果を得ました (野口ら、学会発表)。
これは自閉症患者さんの脳回路の特性を示しており、このシナプスのダイナミクスを抑えるような治療法の開発への道を開いたと考えています。

4.自閉症モデルマーモセットのシステム神経科学的解析
遺伝子レベル・回路レベルと行動レベルを結びつけるレベルとしてシステム神経科学的アプローチがあります。私たちは神経トレーサー法、神経生理学的手法とイメージングを用いて、自閉症モデルマーモセットのシステムとしての脳機能の異常を調べています。
定型発達マーモセットの脳の結合や電気生理学的特徴は、まだまだ知られていなことが多く、私たちは、これまでこの問題に関して調べてきました。

その結果として、心の理論や模倣などの社会性にとって重要なミラーニューロンがマーモセットにあることを示すことができました(Suzukiら,2015)。
また、コミュニケーションと関連のあるマーモセット聴覚野の特徴や、自閉症に関わる上側頭溝の機能や視覚系の脳内回路の検索を行いました (Miyakawaら,2017; Taniら,2018; Abeら,2018)。マーモセットの大脳皮質の電気生理学的状況は、これまでなかなかわかりませんでしたが、これを高密度・広領域で網羅的に解析する皮質脳波法の開発を行いました(Komatsuら, 2019)。現在、これらの手法を用いて、自閉症モデルマーモセットの解析を行っています。

また、構造MRIを用いた自閉症モデルマーモセットの脳の形態異常を調べるプロジェクトを開始しました。