論文紹介

Nerve-specific input modulation to spinal neurons during a motor task in the monkey.
サルの運動タスクにおける脊髄ニューロンへの末梢入力修飾の神経種特異性

研究の背景と経緯

全く同じ刺激が手足の皮膚などに与えられたとしても、引き起こされる感覚は状況に応じて異なることは私たちが日常生活の中で体験していることです。例えば、熱いフライパンのふたを持ち上げる場合、もし、「ふたが熱い」ということを知らない場合は皮膚刺激が脊髄の神経を興奮させ、手を引っ込める反射(屈曲反射)が起こり目的は達成できません。一方、熱いことをあらかじめ知っている場合には、神経の興奮を抑制することができます(図1)。

このような、状況に依存した感覚反応の抑制は自己の運動中に顕著であることが、心理学的研究から明らかにされてきました。このことを示す別のケースは、手のひらをくすぐる際にも存在します。例えば、他人に手のひらをくすぐられる場合と自分自身でくすぐる場合とでは、自分自身でくすぐった方が「くすぐったさ」が抑制されること、また自分自身でくすぐった場合でも、より早く皮膚を刺激した方が感覚の抑制が大きいことなどが知られていました。また、統合失調症の患者ではこの抑制が少ない(自分がやっても他人がやっても同じように感じる)ことから病態の診断への応用を検討する研究例もあります。しかしながら、こうした研究が進められている一方で、自分の運動中に末梢感覚が変化する現象をひきおこす、脳内の仕組みは分かっていませんでした。

研究の内容

研究グループでは、皮膚感覚を伝える末梢神経がまず脊髄で中継されることに注目し、サルが手首を動かしている最中に、手指の皮膚及び筋の感覚神経を直接電気刺激する方法を開発しました(図2)。そして、その電気刺激を用いて皮膚と筋感覚に関わる脊髄神経の反応を記録することに世界で初めて成功しました(図3)。そして、まず皮膚神経に対する脊髄神経の反応を調べると、予想通り運動中に減弱している事がわかりました(図4右、図中青矢印(ー))。この現象は、既に知られている「感覚ゲーティング」つまり、自己の運動中に、その運動によって生じる感覚が抑制される現象を反映していると考えられました。ところが、同じように筋神経への反応を見てみると、皮膚神経反応のように抑制されておらず、逆に促進していました(図4左、図中赤矢印(+))。この反応は通常の感覚ゲーティングの考え方と逆であり、新たな発見でした。

この結果は、「感覚ゲーティング」のメカニズムに新たな解釈を与える重要な知見です。つまり脳による感覚ゲーティングはこれまで考えられていたより、繊細に細かなコントロールによっていることが明らかになりました。そして、今回の実験結果から行動中にすべての感覚が一様に抑制されるのではなく、その行動にとって重要性の高い感覚は逆に強調され、重要性の低い感覚のみが抑制されているという新たな仮説を導くことができました。

今後の展望

本研究によって、「感覚ゲーティング」の神経メカニズムが明らかになりました。そして、運動中における感覚ゲーティングは一様でなく、重要な感覚を抽出、そうでない感覚を抑制するという、よりきめ細かなコントロールが脳によってなされていることがわかりました。今後は、感覚抑制と抽出、両者の背景にある分子レベルの仕組みを調べる研究が盛んになると予想されます。また、例えば統合失調症など精神疾患の患者さんの一部はこの感覚ゲーティングに異常があることが知られ、それが自他混同などの病態の背景にあるとする考えがありました。しかし、今回脳によるよりきめ細かな感覚ゲーティングメカニズムが明らかになったことにより、今後は臨床現場でもより細かな基準で感覚ゲーティングを測定することにより、現在より高精度な診断を行うことができる可能性があります。今後は、さまざまな運動や運動疾患において同様の計測を行うことにより、感覚ゲーティングのより詳細な行動制御における役割が明らかにされることが期待されます。

図1:同一の感覚入力は状況に応じて異なった結果を生む(例)

熱いフライパンのふたを持ち上げなくてはならない場合。もし、「ふたが熱い」ということを知らない場合は皮膚刺激が脊髄の神経を興奮させ、手を引っ込める反射(屈曲反射)が起こり目的は達成できない(上)。一方、熱いことをあらかじめ知っている場合には、神経の興奮を抑制し反射を止めることができる(下)。

図2:皮膚神経と筋神経からの感覚神経を選択的に刺激する新技術開発

皮膚神経と筋神経からの感覚神経を選択的に刺激する新技術開発

図3:覚醒行動下のサル脊髄細胞の末梢神経刺激に対する反応を記録する

サルの末梢神経を電気刺激し、脊髄上電位(図中上)及び脊髄細胞反応(図中下)を記録する実験技術を開発した。脊髄に刺激が到達した時間(点線)から脊髄細胞の反応開始時間(図中ヒストグラム)の時間によって、この脊髄細胞が末梢神経から直接入力を受ける細胞であると判断できる。

図4:手の運動中に皮膚感覚と筋感覚は異なった制御を受ける

サルが手首を(1)安静、(2)運動準備、(3)手首運動、(4)力維持、(5)脱力している際に、筋神経(左)及び皮膚神経(右)を刺激した際の脊髄細胞の反応。皮膚神経を刺激すると、安静時には大きな反応(ヒストグラムのピーク)が認められるが、運動中にはこのピークが消失する(予想された反応:従来の感覚ゲーティング:青ー)。しかし、筋神経を刺激した場合は、逆に反応が大きくなった(予想外の反応:赤+)。感覚ゲーティングは対象とする感覚の種類によって柔軟にコントロールされていることが明らかになった。

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