
光の力で触覚・筋感覚をオン・オフにする手法を確立
〜脳卒中後の痙縮などの治療応用に期待〜
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所モデル動物開発研究部の小杉亮人特任研究室長、工藤もゑこテクニカルフェローおよび関和彦部長と、京都大学ヒト行動進化研究センター統合脳システム分野の井上謙一助教および高田昌彦教授らの共同研究グループは、光遺伝学1)を活用し、触覚や筋感覚に関わる末梢感覚神経の活動を選択的に制御する手法を確立しました。本研究成果は、神経疾患や感覚障害などにより生じる痺れや筋緊張異常を改善する新たな治療法開発につながることが期待されます。
私たちの身体は、外部環境からの情報を脳へと伝える感覚神経によって、触覚や痛覚を知覚しています。しかし、脳卒中や神経変性疾患などによりこの感覚神経の機能が障害されると、痛みや痺れ、筋緊張異常などの症状が現れることがあります。従来の薬物療法や電気刺激療法は、特定の神経活動を選択的に制御することが難しく、副作用のリスクがある点が課題とされてきました。
そこで研究グループは、光遺伝学に着目し「光の力」で末梢感覚神経、特に触覚や筋感覚に関わる神経の活動を選択的に制御する新しい手法を開発しました。具体的には、ラットの坐骨神経を対象に、ウイルスを使って遺伝子を神経細胞に導入する技術、光によって神経細胞の活動を制御する技術、さらに神経細胞の活動を記録する技術を組み合わせることで、触覚や筋感覚の伝達に関わる大口径の感覚神経線維を高い精度で活性化または抑制できることを実証しました。これにより、末梢神経レベルで特定の感覚神経活動を制御する手法の確立に成功しました。
本手法を用いることで、特に一度生じた触覚や筋感覚を脳へと伝わる前に抑制することが世界で初めて可能となりました。本研究の成果により、従来の方法では困難であった神経活動の精密な調整が可能となり、より効果的な神経疾患治療の選択肢が広がることが期待されます。特に、脳卒中後の痙縮など、末梢神経回路の異常に起因する疾患に対する新たな治療法の開発につながる可能性があります。本研究成果は、2025年3月27日(木)午前1時(日本時間)に「iScience」オンライン版に掲載されました。
1.研究の背景
手のひらに乗せたものの重さを感じたり、熱い物に触れたときにその熱さを感じたりと、私たちは実に多様な感覚を知覚することができます。これを支えているのが、触覚、痛覚、温冷覚、圧覚、筋感覚など、さまざまな感覚を電気信号に変換する細胞(受容器)の存在です。これらの受容器は体内に広く分布しており、それぞれ異なる感覚神経を通じて、電気信号を絶えず脳へと伝えています。つまり、感覚ごとに異なる受容器と感覚神経が活動することで、多様な感覚の知覚が可能になっているのです。そのため、感覚神経に異常が生じると、知覚に異常が現れます。例えば、「慢性疼痛」と呼ばれる疾患では、長期間にわたり痛みが持続します。その一因とされる神経障害性疼痛は、痛覚を伝達する感覚神経の異常によって引き起こされ、痛みが慢性的に続くと考えられています。また、脳卒中後の一般的な後遺症である「痙縮」は、筋緊張の異常によって筋肉がこわばり、関節の動きが制限される障害です。その原因として脳の損傷にともなう末梢神経回路の障害が挙げられ、特に筋感覚を伝達する感覚神経の異常が関与していると考えられています。
このような感覚神経の障害に対して、これまでは血流改善薬や抗てんかん薬、ビタミンB12製剤などの薬物療法や経皮的末梢神経電気刺激などの電気刺激療法が用いられてきました。しかし、これらの治療法は、痛覚を伝達する感覚神経や筋感覚を伝達する感覚神経など、特定の感覚神経の活動だけを選択的に制御することが難しく、副作用のリスクがある点が課題とされてきました。
2. 研究の概要
研究グループは、特定の神経細胞に光感受性タンパク質を発現させ、光刺激によって神経活動を制御する光遺伝学に着目しました。この方法であれば、光感受性タンパク質を発現した感覚神経細胞だけが光刺激の影響を受けるため、副作用の軽減が期待できます。具体的には、ラットの坐骨神経を対象に、ウイルスを使って遺伝子を神経細胞に導入する技術、光によって神経細胞の活動を制御する技術、さらに神経細胞の活動を電気信号として記録する技術を組み合わせることで、末梢感覚神経における光遺伝学的手法の有効性を検証しました(図1)。
まず、感覚神経細胞に特定の光感受性タンパク質を遺伝子導入するため、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター2)をラットの坐骨神経に注入しました(図2A)。導入する光感受性タンパク質には、興奮性のチャネルロドプシン(ChR2(H134R))、または抑制性のハロロドプシン(eNpHR3.0)を採用しました。また、AAVは種類によって異なる組織や細胞への指向性を持つことが知られています。本研究では、触覚や筋感覚の伝達に関わる大口径の感覚神経線維に指向性を持つAAV9 を用いました。その結果、目的どおり感覚神経細胞への遺伝子導入が成功したことが確認されました(図2B, C)。

次に、チャネルロドプシンを導入した個体の坐骨神経に青色光を照射し、その影響を調査しました。その結果、感覚神経細胞の軸索から神経活動が記録されました(図3A, B)。光照射に対する神経応答の特性から、触覚や筋感覚の伝達に関わる大口径の感覚神経線維が選択的に活性化されていることが確認されました。
また、ハロロドプシンを導入した個体には黄色光を坐骨神経に照射しながら、照射部位よりも末端部に電気刺激を加えました。その結果、電気刺激によって生じた神経活動は、光照射部位を通過した後、減弱した状態で感覚神経細胞の軸索から記録されました(図3C, D)。このことは、光照射によって感覚神経細胞の活動が抑制されたことを示しています。さらに、光照射を止めると神経活動がすみやかに元のレベルまで回復することも確認されました(図3E–G)。

さらに、光照射に対する神経応答の特性から、触覚や筋感覚の伝達に関わる大口径の感覚神経線維の活動が選択的に抑制されていることも確認されました。これらの結果は、一度生じた触覚や筋感覚を末梢神経レベルで抑制できることを世界で初めて示した結果であり、新たな神経疾患治療の可能性を大きく広げるものです。
次に、照射光の強度を変化させることで神経活動レベルの調節が可能かを検証しました。チャネルロドプシンを導入した個体では、青色光の強度を徐々に増加させると、それにともない記録される神経活動の大きさも徐々に増大することが確認されました(図4A, B)。一方、ハロロドプシンを導入した個体では、黄色光の強度を徐々に増加させると、それにともない記録される神経活動の大きさが徐々に減少する、つまり抑制の効果が徐々に強まることが確認されました(図4C, D)。これらの結果から、チャネルロドプシンとハロロドプシン、両者の共通点として、照射光の強度を調整することで、神経活動レベルを精密に制御できることが明らかになりました。この結果は、光遺伝学を用いた神経活動制御技術の開発において重要な知見となります。

最後に、光照射の最適な部位についても検証を行いました。これまでの光遺伝学を応用した末梢感覚神経の研究の多くは、感覚神経細胞の細胞体が集まる後根神経節3)に光を照射しており、その影響を比較することが重要でした。その結果、チャネルロドプシンとハロロドプシンでは異なる結果が確認されました。チャネルロドプシンを導入した個体では、後根神経節に青色光を照射する(図5A, B下段)と、坐骨神経に照射した場合より(図5B上段)も大きな神経活動が記録されました(図5C)。一方、ハロロドプシンを導入した個体では、後根神経節に黄色光を照射した場合(図5D)、坐骨神経に照射した場合よりも抑制の効果が小さくなりました(図5E)。これらの結果から、感覚神経細胞を活性化させる場合は後根神経節が照射部位としてより適しており、抑制する場合は末梢神経がより適していることが示されました。
このような効果の違いは、末梢感覚神経の活動を光遺伝学によって制御する際に、適切な照射部位を選択する事が極めて重要である事を示しています。特に注目すべき点として、感覚神経細胞を活性化するためには後根神経節が望ましい照射部位であるという点です。後根神経節は椎骨に囲まれているため、光を照射するには外科的手技が必要となります。この事は、光照射の効果と手技の煩雑さとの間にトレードオフが存在することを意味し、今後、こうした知見を活かした実用的なアプローチの確立が期待されます。

3. 今後の展望
本研究により、従来の方法では困難であった感覚神経活動の精密な調整が可能となり、より効果的な神経疾患治療の選択肢が広がることが期待されます。特に、本手法を用いることで、一度生じた触覚や筋感覚を脳へと伝わる前に抑制することが世界で初めて可能となりました。それによって、脳卒中後の痙縮をはじめとする筋感覚を伝達する感覚神経の異常に起因する疾患に対する新たな治療法の開発が可能となりました。具体的には、手や足の動きに応じて光を末梢神経に照射することで、運動にともなって生じる過剰な筋感覚が抑制され、スムーズな運動が可能になると考えられます。また、この手法には単独での治療効果があるだけでなく、リハビリテーションの効果を最大限に高めることも期待されます。現在、リハビリテーションは痙縮の改善に有効とされていますが、痙縮による筋の過剰な抵抗が、その実施を物理的・心理的に困難にする要因となっています。本手法は、リハビリテーションと併用して現在広く実施されているボツリヌス毒素注射や神経ブロック療法の代替治療法としても有望であると考えられます。さらに、痙縮にとどまらず、神経変性疾患である脊髄性筋萎縮症においても、二次的な変性として知られる末梢神経回路の異常に対して本手法が有効に働く可能性があります。本研究の成果は、幅広い神経疾患に対する革新的な治療法の創出へとつながることが期待されます。また、本手法は治療法の開発だけでなく、私たちが全身の受容器からの感覚情報をどのように処理し、身体を動かしているのかを解明する基礎研究の発展にも貢献することが期待されます。私たちの脳は、全身に存在する膨大な数の受容器からの膨大な感覚情報を処理しながら身体運動を制御していますが、その詳細な仕組みは未だ十分に解明されていません。本手法を活用することで、運動中に運動に関与する感覚神経細胞の活動を抑制し、その影響を分析することで、運動制御のメカニズムをより深く理解するための研究が進展すると考えられます。
用語解説
1)光遺伝学特定の神経細胞に光感受性タンパク質を発現させ、光刺激によって神経活動を制御する技術。光感受性タンパク質の中には、神経細胞を活性化させる働きを持つもの(チャネルロドプシンなど)と、抑制させる働きを持つもの(ハロロドプシンなど)がある。
2)アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター:
遺伝子治療への応用が期待される遺伝子導入ベクター(遺伝子の運び屋)の一つ。非常に弱い免疫反応しか引き起こさず、病原性は持たないとされている。神経細胞などに効率よく遺伝子導入でき、遺伝子発現が長期間持続するという特徴を持つ。また、AAV の種類に応じてそれぞれ異なった組織に対する指向性を持つことが知られている。
3)後根神経節:
感覚神経細胞の細胞体が集合している部分。感覚神経細胞の軸索(細胞体から延びる細長い突起)が脊髄に入る手前に位置する。温痛覚、触覚、筋感覚など異なった種類の神経細胞が集まり、末梢の感覚受容器からの信号を中枢に伝達する役割を持つ。
原論文情報
- 論文名:Bidirectional Optogenetic Modulation of Peripheral Sensory Nerve Activity: Induction vs. Suppression through Channelrhodopsin and Halorhodopsin
- 著者:小杉亮人、工藤もゑこ、井上謙一、高田昌彦、関和彦
- 掲載誌:iScience
- DOI:10.1016/j.isci.2025.112178
- https://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(25)00439-0
助成金
本成果は、主に以下の研究助成を受けて行われました。- 文部科学省科学研究費助成金:JP19H05724, JP19H01092, JP26120003, JP23H05488, JP21K17633, JP22H04922 (AdAMS)
- 日本医療研究開発機構:JP19ek0109216, JP21dm0207092, JP21dm0207066, JP24gm0010009, JP21dm0207077
- 国際共同研究プログラムに基づく日米連携による脳情報通信研究:211309