2026年2月13日
個人の行動と脳活動を再現!「デジタルツイン脳」を開発
ー精神疾患の個別治療シミュレーションの実現―
精神疾患の個別化医療の実現に向け、個人の生体機能をコンピュータ上で再現する「デジタルツイン」技術が近年注目を集めています。しかし、脳のネットワーク構造と、実際の認知・行動・脳活動の動的なプロセスを個人レベルで結びつけて再現することは、これまで大きな課題でした。このたび、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所の高橋雄太室長(東北大学大学院医学系研究科講師兼務)、宗田卓史リサーチフェロー、山下祐一室長、東北大学大学院医学系研究科の富田博秋教授らの研究グループは、個人の脳の機能的結合(コネクトーム)データ[1]に基づき、その人特有のマルチタスク実行時の認知・行動および脳活動の動的プロセスを逐次的に予測・再現する、新たな「デジタルツイン脳」システムを開発しました。
本システムは、個人の脳ネットワーク情報を入力として、その人固有の認知や行動ダイナミクスを再現する「個別化デジタル脳モデル」を構築するもので、「ハイパーネットワーク[2]」と呼ばれる高度な人工知能技術を応用しています。ハイパーネットワークは、「あるAIが別のAIの構造や特性を設計する」近年注目されている手法ですが、本研究グループはこれを世界で初めて脳画像(コネクトーム)データへ適用することに成功しました。その結果、本システムは一人ひとりの脳活動パターンと行動特性を高精度に予測できるだけでなく、コンピュータ上で脳回路への仮想的な介入を行い、個人ごとに異なる介入効果を事前に予測する「バーチャル介入シミュレーション[3]」が可能であることを実証しました。
本研究成果は、日本時間2026年2月13日0時(米国東部時間2月12日10時)に国際学術雑誌「BMEF」(BME Frontiers)に掲載されました。
研究の背景
精神疾患の理解と治療には、脳のネットワーク構造(コネクトーム)と、認知・感情・行動といった機能的変化を結びつけて捉えることが不可欠です。しかし、これらは時間的に変化する複雑なダイナミクスを伴うため、個人ごとの脳ネットワークから実際の行動や脳活動を動的に再現することは、これまで困難でした。また、精神疾患は単一の機能障害ではなく、認知・感情など複数の機能ドメインにまたがる変化として現れます。こうした多機能・多課題にまたがる精神機能を統一的に扱い、かつ個人差を反映できる計算モデルは、これまで確立されていませんでした。研究の概要
本研究では、大規模な脳画像データベース(Transdiagnostic Connectome Project)に含まれる228名(精神疾患患者および健常者)の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)データを用いて、個人の脳ネットワーク情報から、その人特有の認知・行動および脳活動を生成する新たなデジタルツイン脳システムを構築・検証しました。1. ハイパーネットワークによる個人脳の再現と高精度な予測(図1)
開発したシステムは、「ハイパーネットワーク」と「メインネットワーク」の2階層で構成されます(図1A)。ハイパーネットワークは、個人の安静時脳機能結(rsFCM)を入力として受け取り、その人の脳機能を模倣するメインネットワークの特性(パラメータ)を生成します。 このモデルの性能を検証したところ、個人の行動データ(反応時間)について、実際の観測データと予測データの間で極めて高い相関(r = 0.90)が確認されました(図1B)。また、脳活動(BOLD信号)についても、実際の波形をモデルが良好に再現しており(図1C)、脳活動パターンの統計的な特徴(t統計量)においても高い相関(r = 0.84)を示しました(図1D)。これは、本モデルが単なるデータの記憶ではなく、個人の認知・感情処理メカニズムを正しく捉えていることを示しています。
2. バーチャル介入シミュレーションによる個別化介入(図2)
本モデルの最大の特徴は、モデル内部の計算過程を解析することで、「脳のどのつながりを変化させれば、特定の心理的・行動的特性を改善できるか」を数学的に特定できる点です。 本研究では、認知機能の一指標である「処理速度(反応時間)」を向上させるための最適な介入ターゲットを探索しました。解析の結果、前頭葉や頭頂葉、皮質下領域などの結合を強化し(図2A)、一方で運動野間の結合などを弱める(図2B)ことが、処理速度の向上に有効であると特定されました。 さらに、特定されたターゲットに基づき、コンピュータ上で脳結合を操作する「バーチャル介入」を行いました。その結果、多くのケースでモデル上の反応時間が短縮(処理速度が向上)しました。重要な点として、このシミュレーション上の治療効果には大きな個人差が見られ、劇的に改善するケースもあれば効果が限定的なケースもあることが明らかになりました(図2C)。これは実際の臨床現場で見られる現象と合致しており、本システムが介入効果の個人差を事前に予測するツールとして有望であることを示唆しています。
なお、本研究では処理速度だけでなく、感情機能に関わる「ネガティブな感情応答(扁桃体の反応)」についても同様の検討を行いました。その結果、情動回路への適切な介入によって過剰な扁桃体活動を抑制できることを確認しており、本システムが複数の精神・神経機能ドメインにわたって個別化介入の指針を提示できることを実証しました。
(A, B) 最適な介入ターゲットの特定: 処理速度(反応時間)を向上させるために、強化すべき脳の機能的結合(A:赤色)と、弱化すべき結合(B:青色)を可視化したもの。 (C) 治療効果の個人差: バーチャル介入前(Pre:水色)と介入後(Post:オレンジ色)の反応時間の変化。介入によって反応時間が短縮(改善)していますが、その変化量には個人差があることが見て取れます。
今後の展望
本研究で開発されたデジタルツイン脳は、静的な脳のネットワークから動的な精神・行動プロセスを生成する画期的な技術です。現在は特定の認知・感情タスクでの検証ですが、今後は日常生活におけるより複雑な行動パターンの再現へと応用範囲を広げていきます。 また、本技術により特定された「個人の脳における最適な介入ターゲット」は、経頭蓋磁気刺激法(TMS)やニューロフィードバックといった、脳回路への直接的な介入を行う治療法の最適化に役立つと期待されます。一人ひとりの脳の特性を数理モデルで緻密に捉え、予測に基づいて最適な治療を選択する『真の個別化医療』を精神科領域で具現化することを目指します。用語の説明
[1] コネクトーム(脳のネットワーク、rsFCM): 脳内の異なる領域がどのように機能的に結びついているかを示すネットワーク構造のこと。本研究では、安静時機能的MRIデータから得られる機能的結合行列(Resting-state Functional Connectivity Matrix)を使用しています。[2] ハイパーネットワーク(Hypernetwork): あるニューラルネットワークのパラメータ(重み)を、別のニューラルネットワークが出力する機械学習の仕組み。本研究では、個人の脳配線データを入力とし、その人の脳機能を模倣するメインネットワークの構造を決定するために用いられました。
[3] バーチャル介入シミュレーション: 実際の患者に施術を行う前に、コンピュータ上のデジタルツインに対して仮想的な介入(脳結合の強さを変化させるなど)を行い、その結果として症状や行動がどう変化するかを予測する技術。
■原著論文情報
・論文名:Digital Twin Brain: Generating Multitask Behavior from Connectomes for Personalized Therapy
・著者:Yuta Takahashi, Takafumi Soda, Hiroaki Tomita, Yuichi Yamashita
・掲載誌: BMEF (BME Frontiers)
・https://doi.org/10.34133/bmef.0231
研究経費
本研究は、科学技術振興機構(JST)BOOST(JPMJBY24E5)、CREST(JPMJCR21P4)、日本医療研究開発機構(AMED)(脳神経科学統合プログラム「ミクロとマクロを統合するデジタルツイン脳による精神疾患治療シミュレーション」「精神障害の新規治療介入法開発のためのメゾスコピックレベルデジタル脳モデルの開発」、ゲノム医療実現バイオバンク利活用プログラム「大規模ゲノム解析に必要な計算基盤構築とゲノム解析に関する研究」)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(JP21K15723, JP24K20897, JP20H00625, JP24H00076, JP24K00499, JP25H01173)、および国立精神・神経医療研究センター精神・神経疾患研究開発費(4-6, 6-9, 7-9)の支援を受けて行われました。>神経研究所
https://www.ncnp.go.jp/neuroscience/index.php
>疾病研究第七部
https://www.ncnp.go.jp/nin/guide/r7/




