2019年11月22日
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)
発表者
小塩 靖崇(東京大学大学院総合文化研究科 進化認知科学研究センター 特任研究員 / 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部 流動研究員)
山口 創生(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部 室長)
太田 和佐(東京大学大学院医学系研究科 脳神経医学専攻臨床神経精神医学講座 特任助教)
安藤俊太郎(東京大学大学院医学系研究科 脳神経医学専攻臨床神経精神医学講座 講師)
小池 進介(東京大学大学院総合文化研究科 進化認知科学研究センター 准教授)
発表のポイント
これまで、精神疾患へのスティグマ(Stigma;日本語では、差別や偏見)(注1)を増長させると考えられてきた「精神疾患に関する生物医学的内容の教育」について、「専門家合意による推奨内容の教育(心理社会的内容)」との無作為化比較試験により、スティグマ軽減の効果を比較検証しました。
生物医学的内容の教育」を受けた者は「専門家合意による推奨内容の教育(心理社会的内容)」を受けた者と同様に、精神疾患に対する誤解、差別、偏見が改善することを、無作為化比較試験で初めて明らかにし、精神疾患に関する生物医学的知識がスティグマの軽減に役立つことを示しました。
今後学校・職場・家庭などでの精神疾患のスティグマに対する介入戦略を検討する上で、心理社会的内容だけでなく生物医学的内容も合わせた教育プログラムを開発することが求められます。
発表概要
精神疾患の生物医学的知識は、スティグマ(Stigma;日本語では、差別や偏見と訳される)の軽減に効果がないだけでなく増長せる可能性もあることが、専門家合意や観察研究の結果のみを根拠として信じられてきました。一方で、医学的治療メカニズムや回復可能性を含めた生物医学的内容の教育が、スティグマ軽減に効果を示した知見もあり、精神疾患に関する教育に生物医学的内容を含めるべきか否かについては議論が続いていました。
東京大学大学院総合文化研究科 進化認知科学研究センター/国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部の小塩靖崇研究員らは、一般人179名(15-57歳・平均22歳)を「生物医学的内容グループ」と「専門家合意による推奨内容(心理社会的内容)グループ」に、無作為に割り付けて講義を実施し、それぞれの精神疾患に対するスティグマ(誤解、差別、偏見)に対する効果を1年間に渡り比較検証しました。
「生物医学的内容グループ」は「専門家合意による推奨内容(心理社会的内容)グループ」と同様に、精神疾患に対するスティグマが改善したことから、精神疾患に関する生物医学的知識はスティグマ軽減に役立つと考えられました。
本研究成果は、精神疾患へのスティグマ介入戦略における、生物医学的知識の有効性について、これまで専門家合意や観察研究の結果のみで議論されてきた状況に対し、エビデンスレベルの高い科学的検証法である無作為化比較試験により、信用度の高い研究結果を示しました。 この知見は、今後教育現場等での応用が期待されます。特に、学校教育現場においては、学習指導要領改訂により、2022年度から公教育で精神疾患が扱われますが、教育プログラム開発において、心理社会的内容だけでなく生物医学的内容も合わせた内容を扱っていくことが望まれます。
発表内容
研究の背景・先行研究における問題点
精神疾患へのスティグマは、援助希求や受療行動を妨げるなど、精神疾患の予防や回復に大きな影響を与えていることが知られており、精神疾患へのスティグマ軽減は喫緊の課題です。これまでスティグマ軽減戦略として、「精神疾患を持つ人と会って話す機会を持つ」という経験が最も効果が大きいことが明らかにされていますが、精神疾患について知ることも、スティグマ軽減に有効だとされています。
精神疾患に関する教育もスティグマ軽減戦略として期待されています。精神疾患に関して何を知るかについては、専門家合意により(2010年時点)、心理社会的内容が推奨されてきました。なお、心理社会的内容は、回復へのメッセージ(精神疾患患者の多くは回復につながりうる)、社会的包摂(精神疾患患者は、働く権利があり、働き続けるための支援を受ける権利を持つ)、精神疾患が一般的であるという疫学知見(精神疾患は生涯のうち4-5人に1人が経験する)といった内容です。また、その専門家合意によると、精神疾患の生物医学的内容(精神疾患は脳の疾患である、遺伝の影響等)は、スティグマ軽減に効果がないだけでなく増長させる可能性もあると考えられてきました。さらに、生物医学的知識とスティグマの程度を調べた観察研究により、精神疾患の生物医学的知識が高い人ほどスティグマが強いという結果が示されるなど、精神疾患の教育に生物医学的内容を含めるべきでないという風潮を強めてきました。最近になり、医学的治療メカニズムや回復可能性を生物医学的背景に基づいて説明した教育により、スティグマ軽減に効果を示したという知見が発表されているものの、無作為化比較試験は行われておらず、精神疾患に関する教育内容に生物医学的内容を含めるべきか否かの議論は続いていました。
研究内容
東京大学大学院総合文化研究科 進化認知科学研究センター/国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部の小塩靖崇研究員らは、一般人179名(15-57歳・平均22歳)を「生物医学的内容グループ(90名)」と「専門家合意による推奨内容(心理社会的内容)グループ(89名)」に無作為に割り付けて、10分間のパワーポイントスライドを使った講義を実施し、それぞれの精神疾患へのスティグマに対する教育効果を、1年間に渡り比較検証しました。検証は、1年間のうち、講義前、講義直後、1ヶ月後、1年後の4時点で、自記式質問紙を用いて行われました。自記式質問紙には、スティグマの程度を評価する項目として、精神疾患の適切な知識(Mental Illness and Disorder Understanding Scale: MIDUS)、精神疾患をもつ人との経験や行動の意図(に保温語版Reported and Intended Behaviour Scale:RIBS-J)、援助希求意図、精神不調の開示意図に関する尺度が用いられました。なお、「生物医学的内容グループ」への講義では、精神疾患の症は脳に原因があること、その原因の一つとして、神経伝達物質のアンバランスがあること、医学的治療として用いられる治療薬はこうした脳のアンバランスを整える働きを持つこと、精神不調を引き起こす原因として遺伝と環境の双方があることを含め、医学的治療のメカニズムや回復可能性を生物医学的背景に基づいて説明しました。「専門家合意による推奨内容(心理社会的内容)グループ」への講義内容は、回復へのメッセージ(精神疾患患者の多くは回復につながりうる)、社会的包摂(精神疾患患者は、働く権利があり、働き続けるための支援を受ける権利を持つ)、精神疾患が一般的である疫学知見(精神疾患は生涯のうち4-5人に1人が経験する)が扱われました。
結果(1)
「生物医学的内容グループ」と「専門家合意による推奨内容(心理社会的内容)グループ」とで、両グループともに、精神疾患の適切な知識は、講義直後、1ヶ月後、1年後に向上し(図1)、精神疾患をもつ人との経験や行動の意図については、両グループとも、講義直後、1ヶ月後に改善が確認されました(図2)。援助希求意図は、両グループとも講義直後に改善しました。精神疾患の適切な知識、精神疾患をもつ人との経験や行動の意図、援助希求意図のそれぞれの変化について、グループ間で違いはありませんでした。精神不調の開示意図は、講義直後に心理社会的内容グループの方で改善の程度が大きく、1ヶ月後では両グループでの改善が確認されました。
結果(2)
それぞれの教育介入の効果に対する性別と年齢の影響についても検討しました。その結果、女性で男性よりも「心理社会的内容の教育」が精神疾患をもつ人との経験や行動の意図に与える効果が1ヶ月後、1年後まで持続されやすいことが確認されました。また、若者群(15-18歳)で成人群(21-57歳)よりも「心理社会的内容の教育」が、精神不調の開示意図が、講義直後の効果や1年後までの持続効果が大きいことが確認されました。
社会的意義・今後の予定 など
本研究成果は、これまで精神疾患の生物医学的知識のスティグマ軽減効果について、専門家合意や観察研究の結果を根拠に否定されてきた状況に対し、無作為化比較試験を用いて、生物医学的内容の教育のスティグマ軽減戦略における有効性を示したものです。無作為化比較試験等の信用度の高い科学的検証の必要性を再認識させる知見でした。
今後学校・職場・家庭などでの教育で知見の活用が期待されるが、特に、2022年度から開始される高等学校新学習指導要領には精神疾患が扱われ、教育内容には「精神疾患への差別や偏見(つまりスティグマ)」も含まれます。公教育で扱われるのは、約40年ぶりのことで教育プログラム開発は急務です。その内容の検討の際には、本研究知見を活用し、心理社会的内容だけでなく生物医学的内容も合わせた内容を含める必要があります。
発表雑誌
- 雑誌名:「Epidemiology and Psychiatric Sciences」(オンライン版:11月22日掲載)
- 論文タイトル:Effects of biomedical messages and expert-recommended messages on reducing mental health-related stigma: a randomised controlled trial
- 著者:Yasutaka Ojio*, Sosei Yamaguchi, Kazusa Ohta, Shuntaro Ando,Shinsuke Koike.
注意事項
日本時間11月22日(金)午前9時1分 (英国時間:22日(金)午前0時1分)以前の公表は禁じられています。
用語解説
(注1)スティグマ
スティグマ(Stigma;日本語では、差別や偏見と訳される)によって、その人の行動を変化させたり、制限させたります。スティグマという言葉は元来、鋭利な器具で刺されたあと皮膚に残る、消せない傷痕を示す言葉でした。それは、時に浮浪者や奴隷を見分けるものとして機能していました。そこから転じ、何らかの形で道徳的に劣っているがゆえ、身体へ染みを付けられ、汚された人を指し示すために、比喩的な意味で「スティグマ」という言葉が用いられるようになりました。こうした経緯から、現在、スティグマは「通常の」人々とは区別される、容認しがたい存在、あるいは社会が行う制裁の何らかの対象を特徴づける、属性や痕跡であると定義されます。精神疾患へのスティグマは、大きく3つの要素(知識(無知)、態度(偏見)、行動(差別))に分かれ、知識は、こころの不調についての正しい知識を持たないことだけでなく、誤った情報や固定観念を持っていることも含まれます。態度(偏見)に関しては、精神疾患について、誤った固定観念(たとえば、「うつ病は怠けているだけである」など)に同調したり、精神疾患をもつ人を恐れたり怒ったりなどの否定的反応を示すことが当てはまります。行動(差別)は、偏見に基づいて、実際にグループや社会から除外しようとする行動などが含まれます。
添付資料
お問い合わせ先
東京大学大学院総合文化研究科 進化認知科学研究センター 特任研究員 / 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部 流動研究員
小塩 靖崇(おじお やすたか)
TEL:042(346)2168 FAX:042(346)2169
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