1つの遺伝子から生まれた2つのタンパク質が神経細胞誕生の
「アクセル」と「ブレーキ」を担う
―小脳発達におけるアイソフォームの新たな働きを発見―
「アクセル」と「ブレーキ」を担う
―小脳発達におけるアイソフォームの新たな働きを発見―
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 病態生化学研究部の大輪智雄室長、星野幹雄部長らの研究グループは、マウスの小脳が発達する過程で、Meis1という1つの遺伝子から作られる2つのタンパク質が、神経細胞が生まれるタイミングを調節していることを明らかにしました。
小脳の神経細胞のもとになる細胞は、はじめは盛んに増えますが、やがて増えるのをやめ、神経細胞へと変化します。本研究で見つかったMeis1遺伝子からできる2つのタンパク質のうち、MEIS1-FLは神経細胞への変化を進める「アクセル」のように働いていました。もう一方のMEIS1-HdLは、細胞を未熟で増えやすい状態に保ち、神経細胞になるタイミングを遅らせる「ブレーキ」のように働きました。私たちの体では、1つの遺伝子から、必ずしも1種類のタンパク質だけが作られるわけではありません。同じ遺伝子から、形や働きの異なる複数のRNAやタンパク質が作られることがあります。このような異なる型を「アイソフォーム」と呼びます。
Meis1は、これまで主に、DNAに結合して遺伝子の働きを調節する「転写因子」を作る遺伝子として知られてきました。今回、研究グループが小脳の神経細胞のもとになる細胞を詳しく調べたところ、Meis1遺伝子から、DNAに結合する領域を持つ「MEIS1-FL」と、その領域を持たない「MEIS1-HdL」という2つの主要なタンパク質つまり「アイソフォーム」が作られていることが分かりました。
本研究は、1つの遺伝子から作られる2つのアイソフォームが、それぞれ異なる場所と仕組みで働き、脳の発達を精密に調節していることを示しました。脳が作られる基本的な仕組みの理解に加え、神経発達の異常や、細胞の増殖・分化2)の異常が関わる病気の理解にもつながることが期待されます(図1)。
この研究成果は、2026年7月14日に国際科学誌 PLoS Biology にオンライン掲載されました。
研究の背景
ヒトを含む哺乳類の脳は、多くの種類の神経細胞やグリア細胞から作られています。これらの細胞が正しい時期に生まれ、正しい場所へ移動し、互いにつながることで、複雑な脳の働きが成り立っています。一方、哺乳類が持つ遺伝子の数は限られています。それにもかかわらず、なぜ多種多様な細胞を持つ複雑な脳を作ることができるのでしょうか。その仕組みの一つとして注目されているのが、「アイソフォーム」です。アイソフォームとは、1つの遺伝子から作られる、形や働きが少しずつ異なるRNAやタンパク質のことです。同じ設計図をもとに、用途の異なる部品が作られるようなものです。近年、RNAの情報を長く一続きに読む技術が発達し、これまで見つけることが難しかったアイソフォームを詳しく調べられるようになってきました。しかし、脳の発達中にそれぞれのアイソフォームがどのように使い分けられ、どのような役割を果たしているのかは、まだ十分に分かっていませんでした。
研究グループは、小脳に非常に多く存在する「顆粒細胞」という神経細胞に注目しました。顆粒細胞は、発生期に「小脳顆粒細胞前駆細胞」1)という、神経細胞のもとになる細胞から作られます。
この前駆細胞は、はじめは盛んに増えますが、適切な時期になると増えるのをやめ、神経細胞へと変化していきます。細胞が増え続けるだけでも、早すぎる時期に神経細胞になってしまっても、小脳は正しく作られません。そのため、「増える状態」から「神経細胞になる状態」へ切り替わるタイミングを、正確に調節する必要があります。
この切り替えに重要なのが、ATOH14)というタンパク質です。ATOH1が細胞内に十分にある間、前駆細胞はまだ増えやすい状態にとどまります。一方、ATOH1が減ると、前駆細胞は増えるのをやめ、神経細胞になる方向へ進みます。
つまり、ATOH1の量は、前駆細胞が「まだ増えるのか」「神経細胞になるのか」を決める重要なスイッチの一つです。しかし、ATOH1の量が細胞内でどのように調節されているのか、その詳しい仕組みには不明な点が残されていました。
研究の内容
1. Meis1遺伝子から、性質の異なる2つのタンパク質が作られるMeis1遺伝子は、DNAに結合して遺伝子の働きを調節する転写因子MEIS1を作る遺伝子として知られていました。本研究では、従来から知られている全長型のタンパク質を「MEIS1-FL」と呼んでいます。転写因子とは、細胞の中で、どの遺伝子をいつ働かせるかを調節するタンパク質です。多くの転写因子は、細胞の核にあるDNAに結合して働きます。研究グループが小脳顆粒細胞前駆細胞を詳しく調べたところ、Meis1遺伝子からは、主に2つのタンパク質が作られていることが分かりました。
1つ目は、これまでよく研究されてきた全長型の「MEIS1-FL」です。MEIS1-FLは、DNAに結合するための「ホメオドメイン」3)という領域を持っています。そのため、主にDNAが存在する細胞の核に入り、転写因子として働きます。
2つ目は、「MEIS1-HdL」です。MEIS1-HdLは、MEIS1-FLとは異なり、DNAに結合するホメオドメインを持っていません。また、主に核ではなく、その外側にある細胞質に存在していました。さらに、MEIS1-HdLは、未熟で盛んに増えている小脳顆粒細胞前駆細胞で多く作られていましたが、前駆細胞が神経細胞になる過程が進むと、その量が少なくなることが分かりました。これらの結果から、同じMeis1遺伝子から作られるMEIS1-FLとMEIS1-HdLは、構造だけでなく、細胞内で存在する場所や働く時期も異なることが示されました(図2)。
2.2つのMEIS1アイソフォームは、神経細胞誕生の「アクセル」と「ブレーキ」として働く
次に研究グループは、発生中のマウス小脳でMEIS1-FLまたはMEIS1-HdLの量を増やし、前駆細胞にどのような変化が起こるかを調べました。その結果、MEIS1-FLを増やすと、増殖中の前駆細胞が減り、神経細胞へと変化した細胞が増えました。つまり、MEIS1-FLは、前駆細胞から神経細胞への分化を進める「アクセル」のように働くことが分かりました。
一方、MEIS1-HdLを増やすと、未熟で増殖性の高い前駆細胞が増え、神経細胞へと分化した細胞は減りました。MEIS1-HdLは、前駆細胞を「増える状態」に保ち、神経細胞になるタイミングを遅らせる「ブレーキ」のように働いていました。
さらに、前駆細胞が本来持っているMEIS1-HdLだけを減らすノックダウン実験を行うと、前駆細胞は増殖状態を保ちにくくなり、神経細胞への分化が進みました。この結果からも、MEIS1-HdLが前駆細胞の増殖状態を維持し、早すぎる分化を防ぐために重要であることが示されました。
以上から、同じMeis1遺伝子から作られる2つのアイソフォームは、神経細胞の誕生を単純に同じ方向へ進めるのではなく、異なる役割を持っていることが分かりました。MEIS1-FLは分化を進めるアクセルとして、MEIS1-HdLは前駆細胞を増殖状態にとどめるブレーキとして働き、神経細胞が適切なタイミングで作られるように調節していると考えられます。
3. MEIS1-HdLは、ATOH1タンパク質を分解から守る
小脳の神経細胞のもとになる細胞、つまり小脳顆粒細胞前駆細胞が、未熟で増えやすい状態を保つためには、ATOH1というタンパク質が重要です。ATOH1が細胞の中に十分にあると、前駆細胞は「まだ増える状態」にとどまります。一方、ATOH1が少なくなると、前駆細胞は増えるのをやめ、神経細胞へと変化する方向に進みます。
本研究では、MEIS1-HdLというタンパク質が、ATOH1を分解されにくくすることで、前駆細胞を未熟で増えやすい状態に保っていることを明らかにしました。
細胞の中では、不要になったタンパク質や、量を減らす必要があるタンパク質に、「分解してください」という目印が付けられます。この目印はユビキチン5)と呼ばれます。ユビキチンが付いたタンパク質は、細胞内で分解されやすくなります。
今回、研究グループは、CUL36)という分子がATOH1にユビキチンを付け、ATOH1を分解へ導くことを新たに発見しました。さらに、MEIS1-HdLは、COP9シグナロソーム7)というタンパク質の集まりを利用して、CUL3の働きを抑えることが分かりました。つまり、MEIS1-HdLがあると、CUL3はATOH1にユビキチンを付けにくくなります。その結果、ATOH1は分解されにくくなり、細胞の中に保たれます。これにより、小脳顆粒細胞前駆細胞は、神経細胞へ分化する前の、未熟で増えやすい状態を維持しやすくなると考えられます(図3)。
言い換えると、ATOH1は前駆細胞を「まだ増える状態」に保つためのスイッチのようなタンパク質です。CUL3はそのATOH1に「分解せよ」という札を付けますが、MEIS1-HdLはその札が付きにくくなるように働きます。そのため、ATOH1が細胞の中に残り、前駆細胞はしばらく未熟で増えやすい状態を保つことができます。
※Pはリン酸化、Ubはユビキチンを示します。
研究の意義・今後の展望
本研究により、脳の発生は、単に「どの遺伝子が働くか」だけでなく「1つの遺伝子から作られるどのアイソフォームが、細胞内のどこで働くか」によっても精密に調節されていることが分かりました。特に本研究では、Meis1という1つの遺伝子から作られる2つのタンパク質が、神経細胞が生まれるタイミングを調節していました。MEIS1-FLは主に核で働き、前駆細胞が神経細胞になる過程を進めます。一方、MEIS1-HdLは主に細胞質で働き、ATOH1を分解から守ることで、前駆細胞を増えやすい状態に保ちます。この発見は、脳が作られる過程を理解するうえで、「アイソフォーム」という視点が重要であることを示しています。今後、長鎖cDNAシーケンス8)と単一細胞解析を組み合わせることで、脳を作る一つひとつの細胞で、どのアイソフォームが、いつ、どこで働いているのかをより詳しく調べられるようになると期待されます。
また、MEIS1、CUL3、COP9シグナロソームは、細胞の増殖や分化にも関わる分子です。そのため、本研究で明らかになった仕組みは、神経発達異常や腫瘍形成など、細胞の増殖・分化の異常が関わる病気の理解にもつながる可能性があります。今後、ヒトの細胞や疾患モデルでの検証を進めることで、脳発達や関連疾患の理解がさらに深まることが期待されます。
研究支援
本研究における長鎖cDNAシーケンス解析は、文部科学省科学研究費助成事業「学術研究支援基盤形成」先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム(先進ゲノム支援、科研費22H04925)の支援を受けて実施されました。用語解説
1)小脳顆粒細胞前駆細胞小脳にある「顆粒細胞」という神経細胞のもとになる細胞です。発生の初期には盛んに増え、その後、神経細胞へと変化します。
2)分化
未熟な細胞が、特定の役割を持つ成熟した細胞へ変化することです。本研究では、小脳顆粒細胞前駆細胞が神経細胞になる過程を指します。
3)ホメオドメイン
タンパク質がDNAに結合するために使う領域の一つです。MEIS1-FLはホメオドメインを持ちますが、MEIS1-HdLはこの領域を持ちません。
4)ATOH1
小脳顆粒細胞前駆細胞を未熟で増えやすい状態に保つために重要なタンパク質です。ATOH1が減ると、前駆細胞は神経細胞になる方向へ進みます。
5)ユビキチン化
細胞内で不要になったタンパク質や、量を減らす必要があるタンパク質に「分解の目印」を付ける仕組みです。
6)CUL3
タンパク質に分解の目印を付ける仕組みに関わる分子です。本研究では、CUL3がATOH1に分解の目印を付け、ATOH1を分解へ導くことが明らかになりました。
7)COP9シグナロソーム
複数のタンパク質からなる分子の集まりで、CUL3などの働きを調節します。本研究では、MEIS1-HdLがCOP9シグナロソームを介してCUL3の働きを抑え、ATOH1を安定化することが分かりました。
8)長鎖cDNAシーケンス
RNAの情報をもとに作られたcDNAを長く一続きに読む解析方法です。従来の短く読む解析では分かりにくかった、遺伝子ごとの多様なアイソフォームを詳しく調べることができます。
発表論文
論文タイトル:Meis1 isoform diversity orchestrates neural progenitor differentiation by regulating ATOH1 degradation at distinct subcellular compartments.著者:Tomoo Owa, Toma Adachi, Ryo Shiraishi, Kentaro Ichijo, Kaiyuan Ji, Minami Mizuno, Kyoka Suyama, Kayo Nishitani, Ikuko Hasegawa, Masaki Sone, Daisuke Kawauchi, Tomoki Nishioka, Shinichiro Taya, Yutaka Suzuki, Kozo Kaibuchi, Satoshi Miyashita, Mikio Hoshino
掲載誌: PLoS Biology
DOI: 10.1371/journal.pbio.3003897.
URL: https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.3003897
>神経研究所
https://www.ncnp.go.jp/neuroscience/index.php
>病態生化学研究部
https://byosei-neuroscience-institute.ncnp.go.jp/




