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精神科医療倫理
(精神科医療における治療同意と事前指示)

精神科医療における治療同意と同意能力

治療における説明と同意

人は基本的に自分のことは(何らかの社会のルールに従いながらもそのなかで)自分で決めて日々の生活を送っています。病気のときもそうです。治療が開始されるためには、自分が受けようとしている治療について、説明を十分に受け、その説明を理解し、それをふまえて自らの考えで判断をして、同意を表明していることを前提にするのが原則です。つまり説明を受けた上での同意(インフォームドコンセントInformed Consent)が求められます。精神科医療においてもそれは同じです。

どのようなことがらについて説明がなされなければらないのか、同意/不同意(拒否)はどのようなかたちであれば有効であるといえるのか、有効な同意/不同意ができない人の治療の実施/非実施の判断はどうすればよいのか、などが論点となります。

(治療)同意能力

たとえば、ある治療を進めようとして医療者が治療等についての説明をしたときに「その治療を受けます」と患者本人が言ったとしても、実は本人は医療者からの説明を理解するだけの能力が十分にないことがあります。あるいは説明は理解しているのだけれど、合理的な判断ができないような病状にあるために非現実的な理由から「その治療は受けません」と言うことがあります。こういったときには、その同意や不同意は有効ではない可能性があります。

つまり、同意や不同意を有効な意思表示であるとみる前提には、その人に十分な能力が備わっている必要があるのです。これを「同意能力」といいます。同意能力のないひとの同意や不同意は無効となるわけです。

同意能力の評価

有効な同意/不同意をする能力があるのかどうかということが実務において問題になります。たとえば意識不明の人であればその能力がないというのは明らかでしょう。しかし、能力がある/ないの境界線を明確に引くことは困難です。この同意能力をできるだけ客観的に評価しようとする試みがあります。国際的に有名なツールとして、MacArthur Competence Assessment Tool (MacCAT-T)(Grisso et al., 1997)などがあります。

司法精神医学研究部でも、精神・神経疾患研究開発費において、同意能力評価にあたっての整理の軸を臨床家に提供する目的で、とくに急を要する現場でも短時間で簡便に利用できることを意図して、「精神科医療緊急時の同意評価スキームCASME(Competency Assessment Scheme for Mental Health Emergency), 2014年」というツールを開発しています。

同意能力のない人の治療

同意能力がない人に対する治療はどうしたらよいでしょうか。

その人に治療をしてよいのか/いけないのか、すべきか/すべきではないのかの判断は、基本的にその治療の「必要性」によることになります。たとえば、本人が意識不明で緊急に手術をしなければ命の取り返しがつかないようなときにはおそらくその必要性は非常に高いと判断されるでしょう。

この「必要性」の判断は、医学的に必要といえるかどうかを超えて、そのような医学的必要性を踏まえたうえで、それは本人にとって必要といえるかということです。ようするに本人にとっての利益とは何なのかという究極の問題に突き当たることになります。

そして、ここでいう利益というのは、必ずしも本人が希望する、欲するという意味だけではない可能性があることにも注意が必要です。たとえば上の例が、もし自殺のためにそのような状態に陥っていたらのうなのでしょうか。回復をしてもまた死にたいというのかもしれません。そもそも自殺をかなえることと、やめさせることとどちらが本人の利益なのでしょうか。また、感染症にかかった人について、注射は痛いから嫌だという希望をかなえるのが利益なのか、その注射によって病気を治すことが利益なのか、さらにはその病気を人にうつさないですむことで本人への非難や隔離を避けることにもなることが利益なのかと多面的に考える必要があります。 実務のうえでは結局、その人にとっての真の利益とは何か、その利益を本人にかわってどのような立場の人(たち)が考え、責任をもって決定するのが適当であるのかなどを慎重に検討することになります。

また、同意能力がない人だからといって、本人の気持ちを無視してよいということではありません。治療をすすめるのであれば、適切な説明をしたうえでの相応の承諾や納得(アセントassent)をしてもらえるように、できるかぎり努力する必要があるといえます。

精神科医療における事前指示(Psychiatric Advenced Direcitve)

自分が有効な意思表示ができなくなった場合を想定し、あらかじめその際の医療等について要望をまとめておくものを事前指示AD(advance directive)といいます。これを精神科医療においても作成、利用しようというのが精神科事前指示PAD(psychiatric advance directives)です。

ただし、欧米におけるPADでは、その有効性や有効範囲などについて法律で定めているのに対して、今のところ日本ではこうした制度はありません。

そこで精神・神経疾患研究開発費において司法精神医学研究部では、法制度はないながらも、このPADの考え方にならった本人の事前指示を確認するツールとして「精神科医療緊急時の事前指示の覚え書きLIME(Letter of Intent for Mental Health Emergency), 2014年」を提案することにしました。これはあくまでも本人の気持ちや希望を確認をする「覚え書き(letter of intent)」にとどまります。PADのような法的効果を前提とする書類ではありませんが、こうした本人の考えを本人も周囲も確かめておくことが、より患者の自立性を尊重した治療につながるものと考えます。また将来的に、日本でもPAD等の制度を導入すべきか、するとしたらどのようにするのがよいのかという議論にも役立てることができると思います。

LIME

精神科医療緊急時の事前指示の覚え書き
LIME(Letter of Intent for Mental Health Emergency)のダウンロード

関連する研究業績

原著

安藤久美子, 岡田幸之: 同意によらない治療的介入に関する「緊急性評価基準」の開発. 司法精神医学雑誌6(1): 10-20, 2011.

総説

岡田幸之,安藤久美子,平林直次:医療観察法における非同意治療とその監査システム.臨床精神薬理15(11):1801-1807,2012.