「細胞分裂に使われる酵素」が脳のシナプス成熟を制御していた
― 神経細胞が酸化反応を利用してシナプス形成を制御する仕組みを解明 ―
― 神経細胞が酸化反応を利用してシナプス形成を制御する仕組みを解明 ―
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所疾病研究第五部の若月修二室長、荒木敏之部長らの研究グループは、理化学研究所環境資源科学研究センターの堂前直部門長代理らとの共同研究により「酸化ストレスは細胞を傷つけるもの」という従来のイメージを超え、神経細胞が酸化シグナルを利用してシナプス形成を制御していることを示し、さらに、本来は細胞分裂に働くAurora-A キナーゼという分子が、神経細胞ではシナプス形成に転用されていることを明らかにしました。
脳の神経細胞は、互いにシナプスを形成することで精密な神経回路を作り上げており、酸化反応は、過剰になると「酸化ストレス」として細胞に障害を引き起こすことが知られています。本研究では、その過程で神経細胞内に生じる局所的な酸化反応を“合図”としてAurora-Aキナーゼを活性化し、シナプス成熟を促進することを発見しました。さらに、この活性化には「S-グルタチオン化」と呼ばれる特殊な化学修飾が重要であり、細胞内酵素によって精密に制御されていることも明らかにしました。
これは、脳がどのように精密な神経回路を形成するのかという根本的な問いに対し、新しい分子レベルの仕組みを提示するものです。また本成果は、自閉スペクトラム症やアルツハイマー病など、酸化ストレスとの関連が指摘されているさまざまな脳疾患の理解につながることも期待されます。
本研究成果は日本時間2026年6月12日に、米国の細胞生物学専門誌『The Journal of Cell Biology』オンライン版に掲載されました。
研究の背景
脳内では、神経細胞同士をつなぐシナプスが形成されることで、複雑で精密な神経回路が作られています。シナプス形成は、学習・記憶・発達など脳機能の基盤となる重要な現象ですが、その分子メカニズムには未解明な点が多く残されています。研究グループはこれまでに、Aurora-Aキナーゼという酵素がシナプス形成を促進することを報告していました。しかしAurora-Aキナーゼは本来、細胞分裂を制御する酵素として知られており、分裂を行わない成熟神経細胞でどのように活性化されるのかは分かっていませんでした。
一方、細胞内ではROS(活性酸素種)による酸化反応が常に生じており、過剰になると「酸化ストレス」として細胞障害を引き起こすことが知られています。しかし近年では、こうした酸化反応が単なる細胞障害ではなく、細胞内情報伝達にも利用されることが注目されています。特に、神経細胞内で生じる局所的な酸化反応が、どのようにシナプス形成の制御へ結びつくのか、その仕組みはよく分かっていませんでした。
研究の概要
研究グループは、マウス脳および培養神経細胞を用いて、Aurora-Aキナーゼが神経細胞内でどのように活性化されるのかを解析しました。その結果、Aurora-Aキナーゼは、シナプス形成が活発な時期にシナプス部位で強く活性化されていることを発見しました。さらに、ROSによって生じる局所的な酸化反応により、GSTPという酵素を介した「S-グルタチオン化」と呼ばれる化学修飾がAurora-Aキナーゼに加わり、それによって酵素活性が高まることを明らかにしました(図1)。
また、GSTPの働きを抑制すると、Aurora-Aキナーゼの活性化だけでなく、シナプス形成そのものも大きく低下しました。さらに、活性化したAurora-Aキナーゼは、神経細胞内の情報伝達を促進することで、シナプス成熟を進めることも分かりました。
これらの結果から、神経細胞は局所的な酸化反応を利用してAurora-Aキナーゼを活性化し、シナプス形成や神経回路形成を制御していることが示されました。

研究の意義
本研究は、「酸化ストレスは細胞を傷つけるもの」という従来のイメージを超え、神経細胞がROSによる局所的な酸化反応を積極的に利用してシナプス形成を制御していることを示した成果です。特に、本来は細胞分裂を制御する酵素として知られてきたAurora-Aキナーゼが、神経細胞ではシナプス成熟を促進するために利用されていること、さらにその活性化が「S-グルタチオン化」という酸化依存的な化学修飾によって制御されていることを明らかにしました。これらの成果は、脳がどのように精密な神経回路を形成するのかという根本的な問いに、新しい分子レベルの仕組みを提示するものです。また、ROSによる酸化反応が単なる細胞障害ではなく、酵素活性を調節する情報伝達機構として利用されていることを示した点で、神経科学のみならず、生命科学や酵素学の観点からも重要な発見といえます。今後の展望
今後は、今回明らかになったAurora-Aキナーゼの酸化反応による活性化が、脳の発達や加齢、さらには神経変性疾患においてどのような役割を果たしているのかを詳しく解析していきます。特に、自閉スペクトラム症やアルツハイマー病などでは、シナプス機能異常や酸化ストレスとの関連が指摘されていることから、本研究で見出した仕組みが、こうした脳疾患の病態にどのように関与しているのかを明らかにしたいと考えています。また将来的には、本研究で見出した酸化反応によるシナプス制御機構の理解を基盤として、シナプス機能異常を標的とした新たな治療法開発につながることも期待されます。
さらに学術的には、Aurora-Aキナーゼ以外にも酸化反応によって働きが調節される酵素が存在する可能性について研究を進め、細胞が酸化反応をどのように情報伝達へ利用しているのか、その新しい仕組みを明らかにしたいと考えています。
用語の説明
1)シナプス神経細胞同士が情報をやり取りするための接続部分。脳内では多数のシナプスが形成されることで複雑な神経回路が構築され、学習・記憶・感情などの脳機能が支えられている。
2)Aurora-Aキナーゼ
本来は細胞分裂を制御する酵素として知られる分子。細胞が増える際に重要な役割を果たすが、本研究では神経細胞においてシナプス形成にも利用されていることが明らかになった。
3)酸化ストレス
細胞内で酸化反応が過剰に生じた状態。一般には細胞障害や老化、神経変性疾患との関連が知られている。一方で近年では、適切に制御された酸化反応が細胞内情報伝達にも利用されることが分かってきている。
4)ROS(活性酸素種)
酸素から生じる反応性の高い分子の総称。過剰になると細胞障害を引き起こすが、適切な量では細胞内シグナルとして働く。
5)S-グルタチオン化
タンパク質にグルタチオンという分子が結合する化学修飾の一種。細胞内の酸化状態に応じて起こり、タンパク質の働きを変化させる。本研究では、この修飾によってAurora-Aキナーゼが活性化されることが示された。
6)シナプス成熟
形成されたシナプスが安定化し、効率よく情報伝達できる状態へ発達する過程。脳回路形成に重要であり、異常が生じると神経発達障害や神経疾患につながる可能性がある。
7)自閉スペクトラム症(ASD)
対人コミュニケーションや行動パターンに特徴を示す神経発達障害。近年、シナプス機能異常や酸化ストレスとの関連が注目されている。
8)アルツハイマー病
認知機能が徐々に低下する代表的な神経変性疾患。脳内でのシナプス障害や酸化ストレスとの関連が知られている。
原著論文情報
・論文名:Redox-dependent S-glutathionylation of Aurora-A kinase by Gstp promotes postsynaptic maturation・著者:Shuji Wakatsuki*, Akiko Yumoto, Takehiro Suzuki, Naoshi Dohmae, Toshiyuki Araki*
(*責任著者)
・掲載誌:The Journal of Cell Biology
・DOI:10.1083/jcb.202509200
研究経費
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業、国立精神・神経医療研究センター精神・神経疾患研究開発費、武田科学振興財団、ノバルティス科学振興財団、日本応用酵素協会などの支援を受けて実施されました。>神経研究所
https://www.ncnp.go.jp/neuroscience/index.php
>疾病研究第五部
https://www.ncnp.go.jp/nin/guide/r5/




